【孤独死】死んで腐るのは駄目で焼かれるのはOKって何?
少年にスーパーの道を聞かれて、昔はよく道を聞かれてたけどここ5年スマホのせいか道聞かれたりしなくなったよなぁと思った、うねおです。
今回は死んだ後の話
孤独死への嫌悪。死んだ後腐ったりウジが湧いたりはNG?
孤独死論争でよく思うことだけど。
死んだ後の自尊とかどうでもよくない?
と思うわけです。
あくまでも僕が僕の死体に対して思う事で、家族とかだとやだなーとは思うんですけど…、自分の死体がどうなるかなんてどうでもいい。
死ねば知覚はなくなる
エピクロスが言うように、死んだら知覚、感覚や思考はすっ飛ぶので(おそらく)
死んだ時点で、人生は終わり。
その後なんて存在しないのと同じ。というか自分の人生には存在しないんですよね。
生まれる前の自分の存在に対しての自尊心云々をどうこうしようとか思わないじゃないですか。
それと同じで、死んだ後もどうでもいいんですわ。
そもそも焼くのはOKって頭おかしいんかと思ってしまた。
確かに、キレイにはなるけど。
焼き払うのはOKで。なんで腐るのは駄目なんだろう。
両方生きてる人間に対して発生すると大事ですが。
こういうの、文化的に発生した後発的な感情で、無駄なバイアスなんじゃないかなぁと思うわけです。
この辺の価値観、インドでは川に流すし、土葬の地域だと虫や微生物が食うわけでしょ?(よく知らんけど。)
宗教観というか、倫理観、道徳観みたいなものによって「焼くのはOK」になってるだけで、
そこにあるのは絶対的な良し悪しではなく、その文化背景における「こうしたほうがいいよねぇ」があるだけなんですよね。
人前でUNKをすることについて
こういう価値観の形成って
人前でうんこしない日本人が(今はどうか知らないけど)中国の溝しかないような公衆トイレで、集団うんこをする事に嫌悪するのと同程度のものかなと思うわけです。
死体が、焼かれようが、腐ろうが、虫に食われようがなんでもいいわけです。
自然に帰って、そのサイクルに戻りさえすればOK。
そこには本人の感情は介在し得ない。死んでるんだからね。
僕は鳥に食われたい
僕は、鳥葬がいいなって思うんだけど、日本では出来ないと思うし(シランケド)、まぁ死んだ後の事なんで実際はどうでもいい
ただ、鳥に食われたいってのはなんかこう、いい感じがするんです。
多くの人が早めに焼かれてキレイになりたいと世間的風潮から思ってるのと同様に、僕も鳥に食われたいと思ってる程度の話で
そこに本質的な意味や価値はないんですが。
ただ、なんとなくいいなーって話。
まとめ:孤独死して死んだ後に腐ってもいいじゃん
死んだ後に腐ろうが、まぁいいじゃんって思うわけです。
もちろん、賃貸住まいで下の人に迷惑かけちゃうとかでなんか申し訳ねぇってのは、また別の話だけどね。
自分の死体がどうなろうが、死んでるものが気にして何になるんだろうって。
だから僕は発見されるされないに関しては、賃貸に住む上でなんか申し訳ねぇって事以外はどうでもいいと思ってるのです。
ということで、
毎日ボタン押さないと死んだぞ状態になる機器とかを作ってくれないと、独身道を極めし出家おじさんの死体が腐って下の人に申し訳ない事になるので、誰かボタン作ってください。
という話。
▼音が、がしゃがしゃで聞きづらい動画になっとります。エレヒコしっかりしなさい。 youtu.be
自分も動画作って支援しようと思ったけど、動画作るのがやっぱ思いの外面倒くさかったので、ブログに貼り付けてちびちびアレします。
▼コレは名著。寝る前にちびちび読んでます。
このブログで書いたかわからないけど、仏教は釈迦の哲学が発端で、後付でスピリチュアルがついたりして宗教化してるので、本質は哲学です。気になる方は読むよろし。序文に仏教の誤解を軽くぶった切ってくれてます。
白取さんは、哲学翻訳とかやってる方で、非常に良い本を乱発してるので、おすすめの哲学系作家さん。