うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

反出生主義は優しい主張らしい

誤解を受けやすい主張なので先に注意点を。

  • 他人が産む産まないはその人の自由と考えています。
  • 反出生主義と自殺肯定はイコールではないです。僕は自殺容認派ですが推進派ではないです。(これはどこかの記事で書いた)
  • 子供は好きです。だからこそ産まないという選択が成り立つ話です(理由は本文中にて)

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反出生主義 べネタ―

  • 生まれてくると快楽を感じる ⇛ ○
  • 生まれてくると苦痛を感じる ⇛ ☓
  • 生まれてこないと苦痛から解放される⇛○
  • 生まれてこないと快楽を感じない ⇛ △

総量として生まれてこない事が勝つから生まれない方がいいというべネタ―の論法。

これを前提に。

そして生まれてこないものに同情するのは難しいという事。

たしかに、現在発生していない命に同情できないですわな。

生物は常に苦しい

原子仏教でも一切皆苦という主張があるけど、生きるって事は苦痛って話。

何かを求めれば苦悩するし

何も求めなければ暇に苦悩する

結局どちらに転んでも苦悩する上に、快楽と快楽の間には無限数の平坦な状態が続きこれは暇に分類される。

この世で最高だと思う快楽と引き換えにこの世の苦痛を100とした時に90くらいの苦痛を与えますと言われてると、快楽を得る事を拒否する。(例:なんでも好きなもの食べていいから、爪全部はぎますね、とか。:これから今居ない子供と幸せに暮らせる未来のために、歩くだけで激痛が発生する体になります。とか。)

よって苦痛の方が大きく、誕生した時点で総量として苦痛が増える事になる。

功利主義的に考えても反出生主義は正しいように思うのですが、この辺はベンサムやミルはじめ、功利主義的主張をしらないのでスルーします。

動画内では否定されてるけど、僕は仏教はペシミズムであると捉えてます。

ペシミズム=ネガティビストでは無いと思っているので。

苦しい事を前提として、どう生きるかを考え、実践するのが仏教の哲学なんじゃないかなと。

自殺と反出生主義

反出生主義者は自殺しろ的な話を見かけますが、これも感情的で中身を一切理解してない反論のようです。

べネタ―の主張は、生きる上での苦痛を削減していくには、生まれないってのが最善策だよねって話であって

生きている命を消滅させてしまおうって話ではない模様。

これは僕も同じで、自殺はかなりの苦痛なので自殺をすると、反出生主義の根底にある苦痛の総量を増やすような行為になってしまうと感えれば納得いくんじゃないでしょうか。

感情的批判が多いので批判されてないように思える

反出生主義の批判に関しては、感情的批判が多いようです。

Quoraのようなところを見に行っても、論理がぶっとんでたり矛盾していたり、そもそも返答になってない回答がちらほらと見受けられる。

生物的に、子供を作ることは本能的なことなので、否定されるのは大半の人にとって苦痛なのだろうと思います。

僕は、高校の頃から

自分が子供を作ったら同じように苦悩して生きるんだろうな

と思ってたので作らないと決めてました。

この時点では仏教も反出生主義も知らなかったのですが。

確かに、世の中思想的洗脳はあるわけですが、どちらかというと先天的に思想の種のようなものは振り分けられている気がします。

脳白紙論は今ではおかしいと考えられていますし、一定の遺伝的、環境的影響は大人になっても簡単に拭えるものではないでしょう。

ペシミストであろう自分が、どう楽に生きるかを追求すれば、なるべく人と関わらず、なるべくおとなしく自分の苦しみだけ背負って死んでいく事が楽であるとの判断です。

これは、世間一般的には同情されるような生き方かもしれませんが、僕にとってはこれが楽だという事で。

多様性多様性っていう割には、ウェイな生き方を押し付けてくるやつなんなん

って思ったりしますけど。

まぁその人達も良かれと思って言ってるわけで。

反出生主義も出生主義も、その他、あらゆる思想哲学、指針や文化なんでも言える事ですけども

多様であって別にいいんじゃないかと思うんですよね。

どんな主張も他人に押し付けちゃだめだよなぁ。

マジョリティは主張を押し付けていいのに反出生主義みたいなマイノリティ主張は押し付けてくるやつはクソだって言われるのっておかしくないすか?

どっちも思想を押し付けちゃダメなんすよ。思考の権利を剥奪する権利は他人にはない。

子供を作る理由は聞かない癖に、子供を作らない理由を聞いてくるのはわりとマジョリティ側の暴力だよなと思うわけです。

が、

人間の栄枯盛衰など、ほんの一瞬の事。些末な事に気をとらわれるなってこの前読んだ小説にかいとった。

邯鄲の夢ってやつ。

まとめ

優しい主張ってのは、これから生まれてくる子供が苦しまないようにするにはどうすればいいか、を考えると生まない事が選択として最善であるという結論を導き出しているから、という話です。

これは、一切皆苦的な哲学が真実だと思っていないと難しい。

逆に、能天気なオプティミズムにさらされていて「人生はハッピーの連続さ!」みたいなちゃらけたハリウッド映画みたいな人にはまったくもって当てはまらないでしょう。

自分の子供も同じようにハッピーになるはずさと思ってるんだったら産むのが最善と考えるでしょうし。

べネタ―の主張は緩やかな人類滅亡で、これは度が越えてる主張なのでどうかなーとは思うものの、結局人類はいない事が人類にとっての最大幸福だなんて考え方

まぁなかなか理解されなくても仕方ないと思う。マイノリティもマイノリティ。

それなら、まだ仏教修行でもしながら全生物に慈悲の祈りでも捧げてる方が受け入れられそうな話。

この話題で堅苦しいのは読みたくないので、ダ・ヴィンチ・恐山さんが書籍出してたのでこっち読んでみようかなと思っとります。オモコロと違って、堅苦しかったらどうしよう。

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