生きる意味の作り方:利他主義
先日、地元で働いているウチの母親からこんな話を聞きまして。
●●ちゃん(僕の同級生)のお母さんが言ってたけど「私が死んだら娘を観る人がいなくなるから、ワクチンは怖いから打たない。ネット見てたら2年後に死ぬとか書いてあるし」って。変な事言うてるやろ~。
反ワクチン運動には困ったものだなと思うものの、100%安全な薬はないので新しすぎるこのワクチンに不安を感じるキモチもわからんでもないです。
と、今回はワクチンの話ではないのでこれはおいておいて。
生きる意味は利他的思考で簡単に作れる。
最近、効果的利他主義について知ってから色々利他主義について調べたり考えたりしてたんですけども
これは効率がいいなと思ったわけです。
僕の同級生のように「娘のために生きる」という発想は、利他的であることで利己的動機が生まれている例ではないかと思うのです。
自分中心だと、自分がテンション下がったらそれで生きる意味を失いがちだけど
誰かのために生きようと思えるなら、それはテンションがあがろうが下がろうが、あまり左右されないんじゃないかなと。
外部要因なので、自分のテンションの影響を受けないですし。
自分が疲れたからって、他人の存在価値が消えるわけではないですからね。
誰かを生かすために、誰かの役に立つために存在できているという感覚は、生きる意味そのものに繋がるのかもしれないと。
利己的だと上手くいかないのは当然かもしれない
自分自分と生きていると、上手くいかないってのは心理学や哲学でよく説かれている事で
自分中心だとまず周りが上手く回らなくなるし、思考も凝り固まってしまう。
僕は仕事は以下の2つにある程度集約させられると思っていて、これをベースで考えることが多いです。
- 他人の役に立つこと
- 他人を楽しませること
「お金お金!名声名声!」ってなってると、自分ばかり見てしまうから、これを実践する思考にたどり着けなくなってうまく回らなくなるのは当然でしょう。
受け手を考慮できる客観的視点がないと、作品も、「自分だけ楽しんでればいい」みたいになってしまいますしね。
自分が楽しいのは前提だから大事なんだけど。このラインが難しいのよなー。創作は。
一日数百円で救える命もあるのなら生きてる意味は作りやすい
効果的利他主義では、発展途上の貧困への寄付が効率的だとされてるようですが
小さいお金で他人を生かしたり、犯罪から救ったりできると考えるなら、日本に住んである程度働いてるだけで相当な存在価値を持てる。
漫画のヒーローにはなれずとも、どこかの誰かを一人救える金銭を寄付する程度の事はできる。
奢りではあるだろうけど、自分がいなくなったら救えたはずの一人が救えなくなるとでも思っていれば
生きてる意味なんていくらでも妄想できる。
生きてる意味を妄想できるなら、別に命まで救わなくてもいいですしね、日本の貧困家庭に生まれた子供の学習支援をしてる団体とかもありますし。
所詮、感情は浮かんでは消える妄想でしかないのだから、そう思い込めればそれで勝ちでしょう。
まとめ
利他的であるってのは、利己的動機の上にこそ成り立つ事が多いと思っているので
- 自分の存在価値のために、他人のために生きる
こういう考え方も出来るよねーって話でした。
生きる意味が無いと思うのなら、自分が関心のある問題を探して、生まれてしまって苦しんでいる人のために、500円でも1000円でも寄付するために生きればいいんじゃないでしょうか。
生きる意味なんて、そんな大層ものではなく。仏教的に言えば、縁起の理解と実行だろうって感じですかね。
知らない人への寄付がピンとこないなら、保護小動物でも飼えばいいんじゃないかなー。僕は命に責任もてないので無理だけど
余談 FIREと寄付
最近FIRE騒がれてるけど、アレについては前書いたかもしらんけども、暇になるだけ。
暇はショーペンハウアーが説いた通り、苦痛でしかない。
目標金額達成したら、働くことはヤメずに、そこからの利回り分を寄付するとかもいい方法だと思いますよ。
もちろん嫌な仕事を無理に続ける必要はないですけどね。