クソ助言「どうせ死ぬならやりたい事やればいいじゃん」
「どうせ死ぬならやりたい事やればいいじゃん」
これは処世術として確かに、正しい。
しかし
そんな風に考えられるなら死にたいとか思わん
これも真理。
死にたいのは、生きたい動機を見いだせないから
楽しい事とか、やりたい事とか、そんなものがあるならそもそも死にたいなんて思わんのですよ。
そんな事考えられるやつなら最初から死にたいとか思ってないって話じゃないですか。
確かに、このアドバイスは正しい。
だけど、それが出来るなら死にたいとは思わないという矛盾。
これに乗っかれたとしても一時的でしょう。
死にたくない人になりたいと思わなくていい
「死にたい」=悪
こういう図式が出来ているうちは、自己肯定は出来ない。
ショーペンハウアーが「幸福になろうとすると幸福になれねぇよ?」って話を残してますが。
これは
- 幸福になりたいと思う
- 幸福の条件を定義する
- 結果自分に足りないものに目を向ける事になる
- 現在を幸福ではない(≒不幸)であるとラベリングする
こうなるからです。
昨今の認知行動療法に「ACT」って心理療法があるんですが、この書籍のタイトルでも同じ発言をしている。
第三世代の認知行動療法は概ね「受容」に焦点をあててあり、今の自分や環境を受け入れる事こそメンタル改善に効くよね~って事になってるそうです。
マインドフルネスなんかもこの仲間ですな。
故に。
死にたいと思っている事を、メタ認知的にというか自己俯瞰的に認めてやらなければ、メンタルは改善しないというのがACTやショーペンハウアーの論理。
世の中の物事全てにおいて、善悪は主観でしかないので、死にたいと思ってることに色をつけてるのは、自分の思考グセでしかないんですよ。
もちろん、死にたいと思うに至ったあらゆる物事に対しても同じ。
- 上司に怒られたから、自分は無能だとか
- 友達がいないから、自分の人生は終わりだとか
- お金がないから~…
などなど。色々あると思うけど、すべてに置いて、善悪の価値判断を加えてそれに対する渇愛(逆説的にも)がメンタルをおかしくしてる。
余談:十二因縁
ちょっと長くなるので簡単に。
原始仏教に十二因縁って話があります。
縁起ってのはあらゆる物事はつながってるよねーって話なんですが、人の心に関しても繋がりがあるよねーってのが十二因縁です。
最初は「無明」というあるがままに物事を見ていない事から始まり、価値判断や、他者との存在との切り分けなど、人が「反応する理由」をこまかく説明されています。
釈迦は、最初の「無明」と途中の「渇愛」を断ち切れと言ってるそう。
なかなか世の中の欲をすべて断ち切るのは難しいから無明まで至るのは難しい。
けど、渇愛を断ち切りさえすれば、執着心が消えるので、欲を楽しんだとしても「おっとこれ以上はいかんな」と線引が出来るようになるから、まずはこの渇愛を切る事を目指しましょうって話らしいです。
詳しくは以下の動画で。
- ヨガの先生が話してるので現代人にはちょっとスピっぽいと思う所もあるチャンネルですけど、その辺りは宗教学の勉強だと思って軽く流してもらえれば。(スピ=ダメみたいなのも善悪の判断なんだけどな。
まとめ
- 「死にたいって思ってもいいじゃん」って思えるようになってからがスタート。
って話でした。
物事は一足飛びにはうまくいかないので、小さく変わっていくしかない。
根明の論理は根暗には響かないんですわ。
そんで、別にかわらなくてもいいし。
僕なんかは、ペシミストとして生きてればいいじゃんって思うんだけどね。
死ぬのが怖い人より、死んでもいいやって思ってる人の方が最後気楽に逝けるんだから勝ち組じゃんよ。
って思ってますからね。
参考書籍
▼友人のチャンネルです。見に行ってやってください。