「足るを知る」という圧倒的処世術
足るを知るってのは老子の言葉だけど
足るを知るものは富、不足に目を向けてるものは貧しくなるって話らしい
これは字面通りのお金的な意味ではなく、精神的な意味だと思ってます。
「欲にはキリがないので、ストレスの少ない自制心を育てる事こそが欲を最大化出来る」
というのが僕が近年哲学から学んだことの中で最大の知識だと感じたもののの一つ。
マインドフルネスや瞑想のトレーニングは自制心を育てるためにやってる。
今こうやってブログを書いてる本日。
完全に仕事の集中力を失ったという幻想を作り出して、ブログをなぐり書きしてるわけだけど、これもよくない。
「外に満たしてくれる何かがあるのではないか」という愚行から行ってるといっても過言ではない。
よく取るならば、マルクス・アウレリウスがやっていたように、頭の中の思考と哲学書き出して再整理して仕事に戻るために書いてるとも言えるんだけど。
目の前にあるものに意識を向ければ些末な思考は止まるし。
サピエンス全史で有名になった、ユヴァル・ノア・ハラリ教授も…
現代に必要なリソースはアテンション(注意力)だ
と説いて、ヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス瞑想とほぼほぼ同義の瞑想)を行っているんだとか。
満足出来る状況に置かれても、欲を追い求める限り人は永遠に満足できず。
アレコレと現在から意識を奪われて生きている。
満たしてくれるものがたくさんあるならばそれで一生をやり遂げる事もできるかもしれないけど
そうもいかない。
お金があろうが麻薬に手を出すミュージシャンなんかを観てると、欲の無常さと無情さに気づかされる。
食うに困るわけでも、住む家が無いわけでもないのに心を病んで自殺する人々に対しても同じ。
求める心は時には大事なものだけど
求める事ばかりでは、欠乏にばかり目を向けるという事。
それでは疲弊してしまうのは当然だろうと。そんな事を思ったり。
足るを知るとは、そういう事。なんじゃないかと思う。
「生きてるだけで丸儲け」ってさんまさんの言葉だけど、この精神は大事よなーと思うのよ。
ま…自分も、欠乏に苛まれてた、哲学やる前の若い時期なんかは、こういう話がただの綺麗事にしか聞こえなかったんだけど。
参考書籍
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