現実はクソだが、ゲームよりはクソではないと思う話。
なぜ、大人になるとゲームを楽しめなくなったり、やめたりしてしまうのでしょうか?に対するEric Hollandsさんの回答 - Quora
Quora読んでたらこんなのあった。
確かに、僕もゲームをあまりやらなくなってきたのは
この課題、現実でやったほうがよくない?
みたいに思う事が増えてしまったから。
実例
クラフトゲーム
例えば、マインクラフトのクラフト要素。
確かにおもしろいゲームだと思うけど。
建物を作るなら、Blenderやボクセルアートツールで作品を作った方が手っ取り早く自由度の高いものが作れる。
マインクラフトでやるから意味があると思えるのは、マインクラフトの情報を共有できる知人がいるかいないかにかかっているのではないだろうかと。
そんな事を思う。
ストーリーについて
世界を救うストーリーなら、現実の課題を解決した方がいいと思ってしまう。
ストーリーを味わいたいなら、映画や小説を読む方が早いし。
もちろん、そのゲームでしか味わえない体験があるというのはゲーム独自のポテンシャルではあるけど。
これは、そもそも本来存在しない価値に価値を感じているにすぎず(これを言い出したら世界全体がそうなのではあるが)、効率よく摂取できる手段を選んでしまうのは仕方ないことなのではないだろうか。
そのゲームでしか体験できないストーリーを体験できるというのは、体験したから言える事であって、体験する前の天秤にかける段階で「効率が悪すぎる」と判断されてしまうのは仕方がない。
最近だと、デス・ストランディングのように、独自性のある設定とストーリーだなと感じる事ができればプレイしたいと思うけど、ストーリー的要素で魅入られる事はほぼない。
同種のものは別メディアに複数存在するからだ。
スキルアップについて
何よりこれ。
プレイスキルについて言えば、そのゲームに付加価値を付与することができるので、価値はあると思うけど
ゲーム内で、成長していく要素には魅力を感じなくなった。
いわゆるハクスラ要素。
これはただの幻想にすぎない。
数字が上がっている事に興奮してるだけで、中身は何にも変わっていないということくらいさすがにアホでも気づく。
誰かとやること
意味があるとするならば、マインクラフトの例で上げたとおり
誰かとその体験の共有や、それを通した話題によるコミュニケーションには意味を感じる。
ゲームも、他の趣味等と同様に、コミュニケーションを円滑にするツール的なものとして使える。
これには意味があると思う。
だから一人ではあまりゲームをやらない。
試してみたいことが見つかればやるが。
現在、7dtdの一人プレイでも垂れ流してみるかと何時間かプレイしたけど、さすがに飽きてしまった。
クリエイティブならもう少し面白さを見いだせるけど、効率よくゾンビを倒す知識を僕が得た所で、ちょっぽの方の動画を面白くできるわけではないので、これも別の事に費やした方が得られるものは大きそうだ。
それこそ瞑想でもしてるほうがいい。
まとめ:リアルもゲームもどっちも基本はクソ
ゲームはおもしろいけど、画力つけたり、小説や漫画読んだり、筋トレしたり瞑想してても、課題をクリアして知識や技術、体験を得る事は可能なのに時間効率の悪い事を選ぶ意味がなくなってしまったんだろうよ。
こういう思考の変化があったのは、ハクスラ要素が数字の変化しかしてないと気づいて、興味を失ってからだと思う。
格ゲーやFPSはスキルを付ける楽しさがあるからたまにやってたけど、今ではそれも、瞑想の方が価値が高く感じるからほぼやらなくなってるし。
- ゲームで提示される課題は現実に置き換えた方が良いと感じてしまう
- ストーリーは独自性がある場合は魅力的だが、中身は事前情報では期待を得るまで至ることが少ないため、概ね別メディアでの摂取を優先してしまう
- 得られない体験を資格と音で経験できる事に意味はあると思う。費用対効果は個人差あるだろうけど(追記)
- 他人とのコミュニケーションツールとしての役割には価値があると思う。
だから僕は、あまり一人ではゲームをしなくなってしまった。という話。
ま、リアルもゲームも、どっちも基本クソなんだけどね。目くそ鼻くそ
リアルは一人でも楽しいが、ゲームは一人だと最高にクソなので、まだリアルの方がマシかもしれないと思うくらい。
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