話したい悩みがあるというのは幸せな事だと思う。
「第三者に話を聞いて欲しい。」そう思える話がある人は幸せな事だと思う。
苦痛において「なにか原因がある」と思い込めているという事だからだ。
しかし、本来の苦痛の原因はそもそも生きている事なのだから
話してどうにかなるのだろうか
生まれた時点で、苦痛を回避する選択肢はない。
死を選ぶ事もまた苦痛だからだ
所詮苦痛の中で絶対的な力で終わらせてもらえるのをただ待つことしかできない
受け入れて生きるしか無い
そういった一切の事実から、盲目的になるために
目先の欲を追って生きるのも一興なんだろうとは思うけど
死ぬ時には結局すべてを手放していかねばならない
一体コレは、なんの罰ゲームなのだろうか。
やれやれだぜなー