暗いことで人に迷惑をかけるの、やめようと思ったんだよ:中村文則
重厚で陰鬱な作風とは対照的に、本人は明朗な性格である。交流のあるお笑い芸人・作家の又吉直樹がそのギャップについて尋ねてみたところ、「暗いことで人に迷惑をかけるの、やめようと思ったんだよ」と答えたという。ー中村文則 - Wikipedia
先日、中村文則さんの作品を読んだので
又吉さんが、Youtubeでこの話してた気がする。
今回気になったのは、「人」ってのが何を指すのかって事。
創作を通して「暗い」を誰かに渡す事は「良し」なのならば
読者はここで言う「人」の対象ではない(もちろん読者が人ではないという意味ではない)。
直接的な対人関係における人間がここで言う「人」なんだろうと思う。
よって、僕がこのブログで鬱屈とした思考を発信をする事においては、この中村さんの主張における「人に迷惑をかける」に該当しないと考えようと思う。
その代わりに、僕を知る人に僕の発する言葉で、不安や心配といった感情を抱かせてしまう事は終わりにしたいと思う。
それは僕自身望んでいる事ではないし
所詮、外れ値である事を自覚しているため
外れ値は外れ値なりに、正規分布の中に溶け込むように、なんとかごまかして生きていけというのが世の常なのだから
最近、多様性だのLGBTがどうだの言っているが
その言っている国ではネイティブの民族を迫害していたりするのだから
所詮その多様性というものは、自分が良しとしたい範囲のものでしか無い
そう主張することが良しとされるという社会的風潮においての合意でしかない
つまるところ、これもマジョリティ側の感動ポルノみたいなものなんだろうと思う。
食人やネクロフィリアまで認められるなら多様性だなーって思うけど
もっともらしい理由をつけて「それは違うだろ」って言うんだ。
それは結局、限られた多様性って事になる。迫害している自覚はないんだ。
医学的にどうとか、健康がどうとか。
そういいながら、子供にSNSを使わせるんだ。何時間も座らせて勉強させるんだ。
よくわからない。本当に。
話がずれたので今日はここで終わり