金儲けと麻雀と哲学
お金を稼ぐってのは最強の暇つぶしなんじゃないかと思えてきた。
麻雀と思い通りにならないことについて
最近、僕は趣味として麻雀をやっている。
しかし、麻雀は運の要素が強いゲームだ。
東洋哲学の思想が反映されているというか、ストア哲学的というか
麻雀には「自分のコントロール内かコントロール外かを見極めて、その結果は淡々と受け入れる」というメントレ要素があると感じているからやっている。
Mリーグ、U-NEXTパイレーツの小林剛プロなんかはその代表格というか、「流れ」のようなオカルト要素を完全否定しているし
「できる事は選択まで」と解説で話しているのを聞いたことがある。
そういう牌の積まれ方であった事を「運」とか「流れ」と定義するならそれは存在するが、その人が運や流れをもっているから、牌がそう並んだわけではないということ。
これは当たり前だけど、その事実を受け入れるという事は人間にとっては多少苦しい。
仏教における一切皆苦
仏教における「一切皆苦」とは
人生って思い通りにならない事ばかりで苦しいよねー
という事であって、これと真っ向勝負で向き合っていると苦しさは増す。
認知療法的に言えば、その考えにフォーカスしているのだから当然だけど
人間は、苦しいと感じ始めるとその事ばかりで頭がいっぱいになってしまう。
そして人間にはネガティブな事に意識を向ける本能がある。
ソレ故に苦しさは長く続く。
麻雀はこういった問題に対して「仕方ない事か、しかたなくない事か」をたった30分前後のプレイでアホほど経験させてくれる。
だから面白い。
お金を稼ぐ暇つぶしについて
しかし。麻雀をしていていても得るものはない。
もちろんゲームとしては面白い。
ただ、これは「行動嗜癖*1」と「間欠強化*2」によるものだ。
これらの減少は依存ではあるが、ゲームとして理解シている範囲で、生活を圧迫していなければさほど問題になるわけではない。
人間、多かれ少なかれ、何かしらの依存症なのだから、すべての依存行動を排除する必要もない。
人、食べ物、モノ、ゲーム、ギャンブル、場合によっては運動のような健康的な行動にすら依存が生じる。
大事なのはバランスだ。
だから依存をどうという事ではないが
麻雀によってわざわざこの「メントレ」をゲームとして行うのであれば
それは仕事の上で行ったとて、さほど違いはないのではないかと思えてきた。
以前、ゲームするならその問題解決を現実でやれば良くないか?みたいな話を書いた記憶があるけど、まさにそれ。
麻雀はこのメントレを見えるかしてくれるツールとして優秀だと思う。
ただ、麻雀を通してこの、ニーバーの祈りよろしくの、問題が裁量内外であるかの切り分けトレーニングが見えるようになったということは
それは現実にも反映できるのではないだろうか。
と思えてきた。
まとめ
- 麻雀は「問題が自分のコントロール下にあるか、ないかの切り分けトレーニング」になる
- この切り分けが出来ないと人生は苦しく感じる。= 一切皆苦
- 麻雀を通してより、この問題が「見える」ようになってきた
- もっと現実にも投影できるのでは?金儲けとか
という話。
現実に投影するってのは、お金の話だけではないのだけど
僕には社会資本がほぼほぼ皆無なので、人的資本を鍛える事か、金融資本を増やす事くらいしか現実におけるおもしろ要素がない。
もちろん。この問題解決思考を以て、社会資本を築いてみるというのも一つの手かもしれないとは思うけど。
人付き合い増やしましたぜーなんて話を、ネットで公開したところでなんかクソつまらん感じになるだけで
「現実問題=金儲け」としてみただけ。
お金を稼ぐということは苦しい。
しかし、
仕事のスキルを伸ばすのも、課題を解決してより業績を上げるのも
所詮はゲーム。
自分がそれを「課題」だと認識出来るかどうかの話でしかない。
その課題の一つとして「自分のコントロール内か外かを見極めるトレーニングツール」として利用するという意識を持つだけでも多少面白くはなったりするんじゃないかと思ったり思わなかったり。
マインドマップ書かずに書いたから方向性がよくわからん話になってきたけど。
「課題を解決してるって感覚」は割と大事で
ゲームが面白いのはそれを明確にしてくれてるからに過ぎない。
麻雀もそう。ほとんどの麻雀プレイヤーは和了と振り込まない事を課題としてる人が大半だろうと思うけど。メントレとしてプレイしてる人間なんて少数はだろうし。
課題も人それぞれってことで
とにかく。
「課題」を現実に投影できれば、それは面白くなるのではないかと思ったりするよって話。でした。
ゲーミフィケーションとかいうやつ。万能ではないらしいけど割と使えるって話もよく聞くよね。