ホームレスになろうかと考えている
ホームレスになろうかと考えている。
受動的なホームレスではなく能動的なホームレス
僕はホームレスになるのが怖かった
20代の僕は、ホームレスになるのが怖くて働いていた。
社会人になるも半年でリタイアし、その後は貯金を食いつぶしながらの漫画アシスタント
鳴かず飛ばずの漫画家を続けて、今はなんとかやっていけてるからいいものの
当時は本当に怖かった。
しかし。よくよく考えると何が怖かったのかはわからない。
ドキュメンタリーを見る
ドキュメンタリーを見て、ホームレスってのはやはり過酷だと思う
しかし、それは受動的なホームレスだ。
そうならざるを得なかった人たちは辛い。
まずお金がない。
お金以外の金融資産も無いから収入がない。
それは大変だろう。
だからこの完全な受動的なホームレスは大変だという事はわかる。
格安宿泊施設
僕が考えているのはそういうガチのアレではなく、どちらかというとくっせー人たちが言ってる「ノマド」的なやつに近い
格安宿泊施設を転々として生きるみたいな。
光熱費やらなんやら考えると、結局お得なのではと思う。
ただ、郵便物どうすんねん問題があるので、行動に起こせずにいる感じ。
実際どうしてるんやろ、あの人達は。
住所も。
孤独について
僕はここ数年「パレオな男」という健康やら脳や心理学やらについて書いてるブログをよく読んでいるのだけど
ここで「孤独はよくないよ。」という情報を読んで以来孤独が怖くなった。
其れ以前はぶっちゃけそんなことはなかった。
しかし、よくよく考えると、健康に悪いから孤独はよくないよねという話は、本人がどう感じているかの問題が大事なので
僕は孤独でも問題がないと気づけた。
認知行動療法なんかをやっているとこういった認知の歪みに気づける。
「孤独=よくない=自分も友達を作らねば」という思考は
まず人間関係が苦手で社会的に孤立していたい、何者にもなりたくないという思考から孤独の方向へ寄せて生きていたこと無視してしまっている。
スキゾイドや回避性パーソナリティ障害は、たしかに改善できるかもしれないが
改善しなければならないのは息苦しさを感じている人だけだろう
僕はこれでちょうどいいので、改善する意味がない。
むしろ1人でいたい。
だからホームレスにでもなってしまいたいと思う。
希薄な人間関係しかもたなければ、たとえ自分が死んでも迷惑は最小限に抑えられる。
孤独死について
孤独死の問題は賃貸の貸主に迷惑をかけてしまうことだと思う。
外で死ねばその問題が減る。
なるべく外で死ぬ形を取るには、家を持たない事がベストなのではないだろうか。
外だろうが中だろうが人はしぬ
野ざらしで死ぬのは虚しいようだが
しかし、そもそも家というのは人間が後から作ったもので別に自然なものでもなんでもない
どこで死のうが結果は同じだし
むしろ外で死ぬ方が見つけてもらえる分ラッキーではないだろうか
野ざらしで死ねば早くにカラスや野良猫、ネズミなどの動物や虫が食ってくれるかもしれない
土に帰る時、燃やされるより生きてるものの血肉になるほうが、ハートフルやろがいとか思う。
自分の肉がどうなるかなんて、死んだらどうでもいいでしょう
おわり
人との関わりを最小限にして、ホームレスになって野ざらしで死んで生き物の餌になる方がええよなぁ
とかそういう事を考えたり考えなかったりしている今日この頃、という話でした。
お金あろうが、家があろうが、友達がいようが、死ぬ時は死ぬ。死ぬ時はしずかに自然に逆らわずに死にたいんや