「何者かになりたい」は 病む
「何者にもなれる!」とか言うてるYoutuberが居ますけど
現状維持するのってめっちゃ大変なのに、その上大きく変化すんのかいって
正気じゃないなと思いますわ。
フォーカシングイリュージョンって認知バイアスがあるんだけど
「●●を手に入れたら幸せになれる」とか、「●●ならもっと楽しくなるはず」とかそう思っちゃうやつで、
でも実際はそうじゃないんですよね。
良くも悪くも、人間ってのは常に悩みと隣合わせだし
物理的に解決しなければならない問題はたしかにある場合もある。
でも多くの場合はただの「マンネリからの脱却という欲」であって
マンネリを受け入れられない事、つまりは、知足とか足るを知るとか言うやつが大事って話だったり
単純に、刺激中毒だったりすると思うのです。
課題解決して変化するより、中毒性に対する対処が先ではと思ったり思わなかったり。
変化したいという欲とホメオスタシス
何者かになりたいってのは承認やお金を得たいって事を言い換えてるだけで
自己実現においてこれを説いてる人って少ないと思うんですよね。
自己実現においては肩書なんてゴミと同じだと思ってるので、他者からの評価を得るための何者かという肩書がほしいという話だと思うんですわ。
しかし
何かを追うと苦しさはつきまとう。
仏教ではこれを「求不得苦」と言いますけど
何かを追うってのは現状を否定することなので、不満を抱くんですよね。
現状を変えたいというのは一定の苦しみがついてくる。
現状満足は停滞だとか後退だとか言うので、どこで折り合いをつけるかは人それぞれだろうけど。
あまり目標と現状が乖離してるのもただ単純に苦しくするだけなんじゃないかと思ったり。
現状何ができるかってところまで落とし込んだとしても、目標がでかすぎる人って、ずっと「まだこんなにやらなきゃいけないことがある」って思いを背負って生きるわけでしょ。
すげぇよ、そんな人生。僕には無理。
何をするか、何を得るか
自己実現においては、何をするかであって何を得るかではないけど
承認やお金がベースになった肩書ほしいマンは、何かを得るが大事で何をするかはどうでもいいんでしょうね。
やるならお金とか承認度外視で、自分がやって面白いと思う事だけ追ってればいいと思うんですけど。
今の時代の自己啓発は激しいですからね。
お金や承認なんて死ぬ時なんの役にも立たないのに。
死にたがりのペシミストの僕からすれば、集めてどうすんだろうって、思いますけど。
僕みたいなくたびれた人間よりは、そういう自己啓発に触発される若さやポジティブさが有る方が魅力的だったりするのかもしれませんけど。