年収200万:節約は美徳ではないという話への疑問
年収200万でうんたらって書籍が出たとかでトレンドいりしたんだとか。
無論、批判の嵐だったようで。
年収200万で豊かに暮らせるのか問題
これは人によるとしか
そもそも「豊か」の定義に、豪遊が含まれてるなら豊かには暮らせないだろうと思う。
ただ、こんなもの個人の考え方の話なので、相対的に豊かであるかないかを定義してれば200万は豊かではないとなって当たり前の話じゃないすか。
豊かかどうかは個人の考え方の問題。
物理的に不可能かどうかは知りませんが、うちの地元だと、ギリギリなんとかなるかならないかくらいの年収かなというところ。
ちょっと足りないのではって気はするけどね。そこは書籍のインパクト重視って感じではないでしょうか。
節約美徳問題
Yahooの記事の中に
節約を美徳にするのはやめよう。
とあった。
マクロ経済学的にはそうだろうけど、ミクロ的には節約は美徳のままだ。
そして、この国は30年、庶民の生活をマクロ的視点で救ってくれなかった…どころか、給料はあがらないのに、増税+円安の物価増で家計は年々圧迫され続けている。
これは節約に走るのは仕方がないのではないだろうか。
個人を無視して国を助けようという節約思考廃止論こそ、竹槍戦法に思えるのだけど、どうでしょう。
全国民がお金をつかいましょうとなるならまだしも、そうはなれない。
先日オリンピックのお金がどうなった問題もニュースになってたし、コロナ関連の使途不明金、自動車自賠責の問題など、国民が払ったお金がどうなってるのかよくわからない事になっている。
節約をやめたところで、癒着まみれの政治が終わらないかぎり同じなのでは。
吸われて消えるくらいなら、僕は節約してSP500でも買ってた方がマシだと思うけど。
お金はなんのためにあるのか
僕にとってお金は時間を買うためのものなので、遊びに使わずほとんど投資に回してきた。
ただ、これは僕が異常者であるから出来たことであると自覚してる。
スキゾイドや回避性パーソナリティ障害という類の気質をもっていて、社会とのつながりを拒絶していきてる
社会資本貧民層なので、可能だっただけの話。
そしてその時間を1人で映画をみたり本を読んだりして過ごしていれば平気な人間だ。
こういう人間は200万で暮らせるかもしれない。
ただ、一般的にはお金があれば使いたい人が多い。
それは経験を詰む事ができるし、悪いことではないと思う。けど、使えばまた使いたくなるのが人の性なので、お金なんていくらあっても足りなくなる。
200万で満足できるのはぶっちゃけ異常者側だと思うけど
良くも悪くも、異常ってのはその世界で生きる上で平均的な存在ではないわけだ。
だから200万でも平気でいられる。
異常か正常かを区別する基準が明確なわけではないけど、お金使わないでも平気でいられる異常者である事は税金と物価だけあがっていく現状では割りと強みになっていると思う。
ただ、すべての人間がそうなれば、日本経済を豊かにしないのも重々承知、だけど人間ってのはそう簡単に変われないし
スマホの広告ビジネスがここまで広がって、みんな当たり前のように毎日広告を見て、Youtuberが紹介するあれこれを見せられてる中
お金を使わずにいられる人は、少ないだろう。
だから、節約美徳問題視派の人は心配しなくても、
ほとんどの人が、節約なんて出来ない。
と僕は思う。
人に自由意志はなく。人は外部に情報に反応してるだけだって話、あるよねー。突き詰めて考えると正しいかもなぁって思えるから、お金大事にしたいなら、広告は見ない方がええと思うんよ。