努力信仰:宮本武蔵は流行らない
努力信仰は本当に信仰だと思う。
僕は、努力含めて、人間の思考や行動は、外部への反応でしかないと思っている。
つまり、「環境」と同反応するかの「気質」で人間の行動や思考は決まっており、結果は時代やその時の潮流などの要素に対して偶発的に現れるものでコントロール不可なものであると、つまりは「運」って事
宮本武蔵は流行らない
よく思う事だけど、現代に宮本武蔵が生まれていても流行らないと思う。
武士、居ないし。
剣道や真剣競技の世界で名を上げても、僕らは現代でその業界の人たちを知らない。
おそらく10年後30年後50年後の人たちも、現代のこの業界の人たちを知る人は現在の宮本武蔵の知名度には届かないだろうと思う。
宮本武蔵なら自己啓発本を描けるかもしれないので、出版で有名になるかもしれないってのはちょっとわからないけど、ただ剣豪であった事が付加価値となった自己啓発本「五輪書」は、
剣豪という付加価値を失った後売る事ができるのかという疑問も残る。
つまり、
宮本武蔵は宮本武蔵の生まれるべくした世、時代に生まれた事によって価値をうんだのであって
その生まれも運なんだなって話。
努力できる才能
「努力できる才能」という言葉がある。
僕は以前、これは努力しない言い訳だと思っていたし、実際にそういう使い方をしてるひとは少なくないと思う。
ただ、努力できる才能というのは、「環境と気質」について考えると読み解くことができると考えるようになった。
例えば
幼い頃からデッサンを学ぶ手段があり超絶なデッサン力を手に入れたピカソだからこそ、あの才能を開花させよくわからん絵を量産できるようになった。
幼い頃から絵を学んでいなかったらデッサンをする力も身につかなかったかもしれない。
塾や家庭教師、親の学力や年収は「幼い頃」の変化をもたらす環境的要因となる。
ただ、環境のみでは努力はできない、環境に対してどう考えるかという気質の問題が関わってくると思っている。
昨今は年収1000万以上の家庭の子供は学力が高いなんて、統計データがあるらしいが、
親の年収が少ないから、勉強を頑張ってお金を稼げるようになろうと考える子もいるだろうと思う。
逆に、うちは金持ちだから適当に生きててもなんとかなるわ、と勉強しない金持ちの子供だっているだろう。
統計的にそういう傾向があるということと、個人が環境的外部要因をどう捉えるかは別の話であり、これが気質と環境の関係性が重要であると考える理由だ。
環境はインパクトはでかいが、それをコントロールするのは個々人の気質の方で決定される。
しかし、こういった気質はほぼ生得的なものであると考えているので、「どう生まれるか」をコントロールできない故に、これもただの運となる。
つまり。努力できるのも才能という論法はたしかに正しいのではないだろうか。
自分の環境と気質がマッチして結果を出すための行動を起こせるかどうかが決定しているのだと思う。
では努力できない人間はどうするのか
ここまでこんな駄文ブログを読んでるなら努力できる側だと思うのだけど
今努力出来ない人間は自分の気質にあった「環境を構築する」しかない。
外部環境を変えるのは難しいが
最も簡単な方法は、依存対策
- やりたい事以外をやらない環境を作るだ
例えば、現代の僕らはほとんど、やらされている事をやっているだけになっている。
Youtube、Twitter、Tiktok、意識をもってスクロールしているのではなく、ただ無意識的に流しているはず。
SNSはそう設計されている。
そしてそれにどれだけの時間を奪われているだろう。
Netflixは最後まで見ると中途半端に終って次の話を見たくなる設計になっている(クリフハンガーというらしい)。
対策としては、これらのサイトに時間制限を加えるアプリを入れるなり、アプリを削除するなり、PCならアクセスできないようにするなりすれば良い。
これができれば時間はおのずと生まれる。
ヘビーユーザーでないないとしても、30分~1時間は毎日余裕ができると思う。
それを達成したいと思っている目標に合った具体性を持った努力に置き換えれば良い。
本を読むとか抽象的な話ではなく、具体的に何をするかまで落とし込めれば大きな結果はついてくるかは運だとしても、やった分は確実に結果がついてくる。
何をするかまで落とし込めないなら、本を読むなり情報収集して具体的に行動できるところまで掘り下げれば良い。
この話は少し大きすぎるし話がまとまらなくなるのでまた別の機会に
つまり
- 1:依存打破して
- 2:具体的て確実性の高い行動に置き換える
って事。
2が難しいんだけどね。これがほんと、わからないんだよ。どんな世界もこれはその都度変わるし、自分の成長に合わせて適切に見つけていかなきゃいけない。
現状を否定する力が必要だけど、ホメオスタシスが働いて、それを認めて行動できるのは本当にそれこそ才能だと思うけど。
ただ、量をこなせば秀才レベルにはなれると思っているので、特に学び初めの時代はあんまり深く考えなくていいと思ってる。
まとめ
- 努力できるかどうかは環境と気質の2つで決定されている
- 現在努力できないなら、環境を再構成するしかない(気質は変えられないので)
という話。
簡単な話ではないし、暑苦しいので、僕は今後も努力せずに生きていくつもりです。
逆説的だけど、努力って努力だと思った時点で続かないんだよね。
我慢とか努力とか、そういう無理をしない自分にマッチした方法や物事が見つかるのってほんとすごい運なんだよなぁ。
好きな事が一つでもはっきりある人は、本当にそれを大事にした方がいいと思うんだよ。