自分を自分がどう思うのか。価値観を掘り下げて考える
あまりにも無気力な状態が続いてるので
鈴木さんの最高の体調をパラパラ読み直してた。
個人的には「無」の方が好きなんだけど、
普段から東洋哲学ばっか読んでるからか、もうほんと出家僧みたいになっていくので
無気力もこれのせいではと思って、バランスを取るためにちょっと意識高い感じに
価値観は大事だよという話
価値観って大事よねという所にぶち当たる
以前探ってた時には、
メンタルの安定性、画力等の創造性、利他性(結局利己的に満たされるから)、後は筋トレと英語がおまけ程度に着いてた感じ。
とはいえ、価値観って言語として単一的な何かで収まらないもののような気がするので
定期的にほってみなければならないようで
自分が自分をどう思うか
さっきは価値観掘り下げてたら
別に他人より抜きん出たいと思ってるとは思わなかったんだけど、そういう自分がいるという事に気づいた。
理由はおそらく
自分が自分を認められないから、外部の情報を利用して自分を価値ある存在として定義したいからだろうという事だった。
文章がややこしいので整理すると
例えばなんでもいいんだけど、Apexで好成績を収められるので自分はゲームがうまいぞ、と思う事は一つの肩書的な要素になって他人に「私はこういうものです」と言うために使えるみたいな。
ゲームの成績が肩書ってのもなんだけどぱっと思いつかなかったので、
でも実際Youtubeの世界ではそういう人がいる。Apexで好成績を上げられる人達はそれを足がかりにYoutube展開をしたりしてるわけで、経済的にも無価値なものでもない。
いわば、こういう
「自分はこういうものです」と胸を張って言うために他人より優れていたいという考え方が、少なからず僕の中にあったらしい。
これは逆に言えば
今の自分を認められない自分がいるという事になる。
いわゆるセルフコンパッション的な事が足りないのだなという事。
現実問題として解決するために「抜きん出る努力」を使う人もいるだろうけど、僕は東洋思想好きなのでこの選択にはならない。
何故ならば、それもまた達成しても次のターゲットが必要になるからで、キリがないからだ。
いま現状、僕は漫画描きとして微妙に名前が知られてるのでそれを利用すればぼちぼちの自信は手に入るだろうけど、それができない。
この問題は根本的に、肩書や成績が自信につながっているとかいないという話ではなく、自分が自分をどう思うかという話だからだと思う。
つまりは、何もないから自分を認められないないのではなく、
自分を認められないから何もないように感じるのだろうと思う。
所詮人間なんて何もなくても問題はないのだけど、何かなければいけないと思っているんだなぁと。
自分の事なのに改めて気付かされる。
余談
あと、読み返してて、昔は仕事を遊びみたいにしてやってたなぁと思い出させられた。
遊びは大事だって話がのってるので、スプレッドシートなんかを使ってもうちょっと仕事を遊び化して、楽しんで漫画を描いていきたいなと
思った次第。
あ、あと最近1人でApexやってたけど、これ価値観と全然関係ねぇなとおもったら熱が引いた。