無敵の人のトリガーはどこにあるのか。
ひろゆき氏が安倍元首相殺害事件について弱者の反抗であるといったツイートをしたとのニュースをみて思ったこと。
執筆中はまだ犯人の情報も出てないのでひろゆき氏の発言は推測でしかない段階ですし、この記事は安倍元首相の事件とは関係ないです。
社会の異物というものについて
コンビニ人間読んでて思ったけど「無敵の人」ってむしろ「無敵じゃない」んだよな。
— うねお (@uneo05) 2022年7月8日
社会全部を敵だと思ってしまうくらい異物扱いされてる。
渡辺電機(株)先生が、親になって「●●ちゃんのお父さん」という肩書を得た話を書いてたが、この異物にならない条件を整えられないんだ。僕らのような異物は
社会は異物を平気で排除しにかかってくるから
— うねお (@uneo05) 2022年7月8日
仕事や趣味、結婚や親になるなどの家庭を経て、異物にならないようにしないと
誰からか得に言われなくても間接的に、
CMやドラマですらお前たちは異物であるという事を丁寧に教えてくださるので
社会の価値観を無視できないと暴発するんだろうなぁ
「異物」ってのはコンビニ人間で使われてた表現だけど。
無敵の人である事がトリガーになる事はないと思ってて
結局は、直接的間接的にせよ
迫害を受けているという感覚。自分が異物であるという感覚を得てしまう事にあると思うんだけど。
根本的に
ドラマやCMなどに出てくる幸せ像ってのは
所詮妄想であって
そこに沿う生き方をしてる人はさほど多くはないのだろうと思う。
たしかそんな事が諸富先生の本に書いてあったような
まぁ何はともあれ
何かの「型」にはまれていない事が、トリガーになるのではないだろうかと思うのだけど
実際、どうなのかはわからない。
ただ、
普通でない事を「治す」(これもコンビニ人間の表現だけど)必要があるのかどうかという所において
僕は別に必要ないと思って生きている人間なのだけど
その「必要ない」と思えるかどうかが人の精神の安定性を分けるポイントになると思ってて
僕も一歩踏み外せば簡単に無敵の人でありトリガーが発動してしまった状態になるのだという自覚をもって生きていないといけないと思った。
どんな物事もそうだけど
「自分は絶対大丈夫」と考えることの方が危険だと思っている。
だから、僕は人を殺す可能性があるし、物を盗む可能性もあると思って、そうならないためのシミュレーションをしておいた方が、自分がそうならないで済むのではないかと思っているし
そのためにも、こんな駄文を書き散らしているだけのブログであっても、自分について少しでも頭を使っていたいと思うし、それが僕にとっては必要なのだと思う。
無敵ではない人々、と呼ぶのかよくわからないけど、いわゆる普通の人は
そうならないための社会的絆があって、そうならないための考察を深めるだけの相手がいるのかもしれない。
僕にはそういう人はいないし、そういうものが煩わしいと思うから 社会としては僕は異物なのだろうけど
本当の意味での異物にならないように生きるための努力は
しなければならないような気がする。
釈迦は善をなせと言うが
釈迦は善をなせというが、
善を成す以前に悪業を行わない事を説いている
まずはそこをしっかりしないといけない。
よくあるけど、ボランティア団体の人間がいかがわしい事してたみたいな話とか
善を成す前に悪を成さないためというのは、簡単なようで難しいのかもしれないと思っているくらいがちょうどいい
何にせよ自分を過信しないことだ。
他人に対して性善説か性悪説かはどちらでも好きに考えればいいと思うけど、自分にとっては性悪説で捉えた方がいいのではないか。
すぐに仕事もサボるし。僕は性善説で構築されるほど、善の塊ではないのは自覚できている。
油断すると何かをするかもしれないと、自分を疑っているくらいが、異物として捉えられてる側としてはちょうどいいと思う。
卑屈にならず、自制して生きる。
自分がされていやな事は他人にしなければいい。だから、自分が異物扱いされても他人を異物扱いしないように生きようと思う。