俗世間を拒む事について
広瀬。俺達を拒まないでくれ
自分が楽しもうと思わなければ楽しめないし
受け入れようと思えなければ受け入れられない。
自分はあっち側だとか、こっち側だとか
そういう思いがあるから、反対側を拒絶してしまう。
どちらが良いとか悪いとか、判断するから、片側にいることに執着してしまう。
そういう考えもまた、人間の卑しさであり、俗世間的だと思ったりもする。
所詮、どちら側だと豪語する事も、欲望なんだろう。
「俺はセミリタイア側」「労働は糞」とか、なんかそういうのはセミリタイアやFIRE界隈でよく聞く。
俗世間的価値感を翻してやりましたよと。
好きにすればいいけどそれも一つ、他人から承認を受けるためにやっていることだから
結局俗世間的だと思う。
ソクラテスや釈迦は書物を残してない。追随者が死語に勝手に書き残してるだけだ。
賢者ってそういう事なんじゃないかって思うんよ。
こんな糞ブログ書いてる時点で自分も俗世間的なんだろうなぁ。
そういうものを棄てるくらいの気概で生きたいが。
なかなか。むずかしい。