小説を読んで、他人の思考を知りたいと思ったり
「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ。」あの人は僕たちによくそう言った。「考える事で人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分で作り出すことができる。」ーー「何もかも憂鬱な夜に」P160
最近、本を読んでると自分の不寛容さに気づいた。
「誰かに」というより、漠然と不寛容なんだなと思ったりする。
寛容というか、辛抱というか、よくわからない事をそのまま抱えておく力のようなものが、足りない。
答えを求めたがる。
「認知的完結欲求」というらしい。
すぐに答えを求める欲求。
これは、短絡的な作業で答えが出てくる昨今のネットメディアに浸りすぎた結果だろうと思う。
依存症気味で刺激を求めたり
会話も、すぐに答えや結論を求めたり。
無刺激であったり、曖昧な表現を好まないというか。
男性は特にこの傾向があるような気がするけど、最近それを強く感じる。
小説を読むと認知的完結欲求は下がるというデータがあるらしい。*1
これはありがたい事だと思う。
今、カフカの変身を読んでるんだけど。
認知的完結欲求というよりも、単純に文章が分かりづらすぎてひっくり返りそうになる。毒虫になったザムザの如く。
古典といっていいのかはわからんけど、内容ともかく読みづらいってのはしんどい。
カフカは何を思ってこんなものを書いたのかとか、この先毒虫になったザムザはどうするのかとか、気になる所があるけど読めるか不安。
読めなければ読めないでいいかと思うけど。
まぁ余談も余談が過ぎたので本題。
小説を読む事で人を知りたいと思った
キャラクターづくりが下手だと言われた事はないんだけど
編集者の言う事をそのまま真に受けて伸ばすべき所を伸ばさなければ作家の怠慢も怠慢なので、
人を知ろうと思って読んでる面が多いと思う。
人と、話か。
後は語彙力。
誰かが考えた何かにしっかり振れたい。
ドラマ等の映像作品だと、つい仕事しながら見ちゃうから
漫画や小説がいいんだけど、漫画は高いし。漫画描きが言う事じゃないけど。
って事で小説読んでるだけ、
あとは効能についての研究が、やっぱ小説は多い。
共感力とか語彙力、コミュ力が身につくとか、寿命伸びるとか(これ目的に読んだら意味が無い気がするが)
先に書いた認知的完結欲求もそうだし
短絡的メディアより落ち着けるから読んでる。
創作も会話も全てに言える事だけど
他人が発することってのは、他人の思考を知る事になって面白いと最近思った。
客観的な結論が出ていない個人の意見って意味ないんじゃないかって思う事も多々あるから、物や場合によるんだけど
触れてると面白い。
今後も色々読んでいこう。