人と比べたり、「最低限」を高く設定してしまったり。
良かった。
人と比べたり、世俗の高く設定された最低限が足枷になって、人は死にたいと思うのだというおじさんの話は刺さる。
そう簡単なものではないけど
他人と比べる事をやめようというのは、僕が日頃から思ってる事の一つ。
最低限については吉田兼好の「衣食住と病気の備えがあれば良し」が支えになってる。
それでも、簡単な事ではない。
他者比較と今出来ることについて
上手くいってる人を見て、自分の力不足を嘆く事は多い。
歳を重ねてあまり嫉妬はしなくなってきた。他人が上手くいってることと自分が上手くいっていない事は関係がないからだ。
椅子取りゲームみたいな側面はどの業界にもあるけど、それはそこまで大きな問題ではないと思うようにもなってるし。
食っていける程度のレベルの話なら、実際に椅子が足りないから掃き出されるというのは、あまり無いように思う。
基本は自分が自分の問題と向き合っているのかどうか、だと考える。
そうしなければ、他人という壁を意識し続けなければならない。
結局出来ることはクラッシェンが言語習得で語ってるように、「i+1」を積み上げるしかないから。
現実問題として椅子取りゲームとして他人が関係していたとしても、出来る事は自分が学習し実践するという事だけだから考えても考えなくても関係がないように思うから。
人との比較はキリがない。
自分が今何をするか、しか出来ることはないから。
衣食住と病気の備えがあれば良し
もう語ることもないけど。
ものをわんさか揃えたり
見栄のために何かを買ったりするくらいなら
僕は自分の時間を買いたい。
株なりなんなりの資産を買って資産に小銭を稼いできてもらって、その小銭を稼がなければならなかった時間で、自分がやりたい事をやっていたい。
僕はアウトドアな人間ではないから
よく「経験」で出てくる、旅行にはあまり興味がもてない。
絶景とか巨大建造物は見に行きたいけど、行くのが億劫だから。
そういう経験まがいのものは、小説でいいと最近は思う。
狩猟採集民だったころの人間が、牛久大仏が見れないからといって人生に後悔するだろうか。
要はそういう事で
手に入るという思い込みが、手に入らない事を後悔に変えてしまう。
欲なんていくら叶えてもキリがないから。
棄てるくらいがちょうどいい。
僕の人生が周りに較べて貧相なものであったからといって、
僕がそれを是とすれば
それはソレ以上でもソレ以下でもない。
他人に卑下されようが、何を言われようが、それは他人が決めた価値感だから。
行けば面白いだろうし感動もするだろう。
でも、
すべてを満たし続けることはできないから。
巨大建造物を、一つ見て、二つ見て、いったいどこで後悔しなくなるのだろう。
欲はキリがないから。
心底行きたいとおもったらいけばいいけど、欲を満たしても、次が来るだけだと知っていれば
そう安安と軽い気持ちで欲を満たさなくなる。
「ほしいけど、見たいけど、よく考えるとそこまでじゃない。」、そんなものを手に入れないと触らないと「人生損してる」なんてありがたがっているから、そういう物事が溢れかえってるから、
根本的には、衣食住と病気の備えがアレば良しで生きていきたいと思う。
欲は棄てるくらいがちょうどいい。