ほくろ恐怖症+癌恐怖症
僕はいわゆる癌恐怖症なんだけど
2012年あたりに、足の指先にほくろができて以来、ホクロ恐怖症になった。
結局は癌恐怖症なんだけど
いわゆる、これは安全なホクロなのかどうかって気にする。
瞑想やマインドフルネスを学んでから、恐怖症の類は少し収まったけど、ひどい時期は一週間~数ヶ月、悶々と悩んでた事もある。
そんで、今もホクロが気になってる。
昨日の夜見つけて、朝もちょっと悩んだ。2022-07-27執筆
しかしまぁ、死ぬなら死ぬで仕方ない。
人間はいつか死ぬものだから。
遅かれ早かれ、死んだ時がその人の寿命。
助かったかもしれない、と言った所でよく寿命が数十年伸びる程度。
人の一生は短い。
長かろうが短かろうが、結局は短い。
うまく割り切っていきたいが、
恐怖症の波に飲まれるとうまくコントロールできなくなる。
根本的には何を恐れてるんだろうか
しかし根本的に何を恐れてるんだろうか。
よく、死を乗り越えるためには子供を作れとか言うが
僕には子供はいない。
アドラーは子供以外の選択肢としては、仕事を残せとか言ってたらしい。
仕事は割りと残した。
それでもやはり、死の恐怖が完全に無いかと言われるとそんなことはない。
ソクラテスですら、死を本当に理解していないのだから、過剰に恐れるのはおかしいが、全く恐怖がないいうのもおかしいと言ってたとか。
釈迦は、結局生を否定してるから、死の恐怖はあったかもしれないが、生きる事よりマシだと思ったかもしれない。
どんな人でもいつか死ぬ。
何も残せず死ぬ人だって少なくはない。
しかし。
何かを残した所で、人間の歴史があと何年続くかもわからないし
結局、それも消えてしまう。
子供が子供を残さなければ100年遺伝子が引き伸ばされるだけだし。
その後の子孫が、1000年後どうなってるかなんて予測もできない。
何かを残す事で恐怖心を払拭するなんて出来るのだろうか。
そういう意味では、生きた時点で残ってる気がするが。
生きたという事実は事実として物質レベルで記憶されてるとも考えられる。やや超科学的かもしれないけど。
自分を構成していた物質は別のものに移り変わるし。というかこれは生きてるうちに入れ替わってるらしい。
宇宙のエントロピー増大則にも貢献してる。生きたのだから。
痕跡は残っている。
それが後世に観測できるかどうかはともかくとして。そもそも子供を残そうが仕事を残そうが、そんなものいつかは忘れ去られてしまうし
名前として残っても、感情のこもった記憶としては残らない。
これも結局は意味なんて無いんじゃないだろうか。
わからないけど。
じゃあ何を恐れてるんだろう。
自由が奪われる事が怖いのか。
病気になると自由が奪われる。それが一番怖いのかもしれない。
今、絵を描いたり漫画を描いたり、筋トレしたりゲームしたり
そういうアレコレが、今まで通りできなくなる事が怖いのか。
自由が奪われるのが怖いのか、それとも変化が怖いのか。
どちらにせよ、あまり大した事ではなさそうにも思える。
人間は慣れる生き物だから、何かを失っても不可能な抵抗をし続けなければ、やがては慣れるだろう。
わからないことが怖いのか
わからないことは怖い。
病気も死も、よくわからないということが怖いのかもしれない。
よくわからないものが身体を蝕んでいたり、いつ死ぬのかという不確定な恐怖に襲われたり
死んだ後の感覚は未体験だし、そもそも体験ができない。
永遠に目覚めないという意味のわからなさが怖いのかもしれない。
怖がった所で変えられないのだけど
とはいえほんと、怖がった所で変えられることなんてない。
受け入れるしかない。
コントロールできないものはコントロールしないってのはストア派の重要な教訓。
病も死も、出来ることはやればいいが、結局はどうにもならない。
生老病死は仏教の四大苦だ。
変えられないものは受け入れるしかない。
とりあえず、不安なホクロは近々病院にいっておこうと思う。