うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

人として面白くないから、作品を描いて生きている。

さっき、エレひこ氏とゲームをしてて

エレひこ氏が「こっちにあるぞ」と言ったものを、「そっちではないだろう」と僕が否定して、時間を食って、最初にエレひこ氏が見つけたものが正しかった。

という文章にするとよくわからんだろうけど、そのうち彼のチャンネルでアップされるであろうから、詳細が知りたい変わった人がいればそれを観て欲しい。

それをまぁなんというか、多少なりともエンタメにする方法はあったはずなのに、面白い返しがその瞬間に出てこなかった事が

自分は人としてなんにも面白いところがないなと思った。

自分というフィルタ

世の中で生きる事が上手い人

コミュニケーションやユーモアが優れている人というのは

自分というフィルタを通して出力出来るものが

そもそも価値を持っているのだろうと思う

しかし僕にはそれが無い。

これは、普段のアウトプットの仕方が、漫画であったり小汚いブログでの吐露という方法に偏っており

練習できていないせいかもしれないからか、

自分を触媒として使う方法では、上手くユーモアを生成出来ないのだろうと思う。

漫画の方もそれが得意なわけではないのだけど

今のところ、ギリギリ食えているので、まだマシなのだろうと思う。

いや、面白くなくなったのは最近かもしれない

書いていて思ったが、面白くなくなったのは最近かもしれない。

昔はもう少し、感情を振り切るのがウマかった気がする。

生きづらさをごまかすために、そういった一時的な笑いや楽しみを使っていたのだろうけど

最近は、そういった逃避行動がうまく行かず

思想哲学なんてものに時間を使って

泥のようになっているから、面白くないのだろう。

年齢を重ねたせいか

それとも、コロナも相まって、人と関わる事が減ったからか

僕の肉体や精神が弱っているからなのかはわからないけど

衰えているような感じがする。

失敗を恐れる

僕は失敗が嫌いだ。

失敗しなきゃ成長なんてものが無いのはわかっているけど

失敗が苦手だ

どうも、自分の無力感をうまく消化できないような気がする。

得にこの性質は、対人での失敗に顕著。

絵や漫画での失敗は、「次なんとかするか」と多少落ち込んだらすぐに元に戻るが

対人でいまいち、自分の価値がないなと思った時は、下手すりゃ一週間くらい引きこもりたくなる。

対人回避の性格は後発的なものなのだろうか

こういった対人回避の性格は、後発的なものなのだろうか。

中学から対人関係が苦手になって、一時期は保健室登校というのをやっていた。

1クラス20人程度の小規模な学校だったけど、今思えば…という程度のもので、その頃クラスメイトに腫れ物扱いをされたわけでもない。

本当に、今思えばという程度の事だったけど

アレが、僕にとっての「ここは居心地が悪い」とはっきり感じる瞬間だったように思う。

中学で何が合ったというわけでもない。

これは後発的なものなのか、それとも生得的な気質が、その時に発火したのか、それを調べる事もできない。

僕にとってのサンプルは「僕」しかないからわかりようがない。

作品を描いて生きる

今はなんとか仕事があるから、まぁ僕という存在を

自分が認識するためのツールとして、作品を作る事ができる。

海外の人からリプやDMをもらえたりするのは、作品無しの自分ではあり得なかった事だろうと思うし

それはそれで満足している。

ただ、漠然とした生きづらさはやはり消える事はなく、年々悪化しているようにも思う。

僕は、可能なら、僕という存在を、ただ作品を描くだけの何か別のものにしてくれる方法があるのなら

それを行ってもらいたいと思うくらい

他の形では、うまく自分の存在を、自分で安定的に認識する事ができない。

メンタルヘルスを勉強したけど、たどり着いたところは

この生きづらさは消えず、生きづらいまま出来ることをするという、確かに、悪くはないが、よくもないという程度の結論にしか至らなかった。

ファッションペシミストを気取っていたつもりだったけど、僕はシンプルにただただペシミストだったのかもしれない。

執筆日:2022-08-04