「焦り」の感情を解決したい
「焦り」という感情の解決について
認知行動療法
認知行動療法をやる。
まず思考が歪んでいないか調べる。
感情を深掘りする
焦りの感情があるとき、なにかが欲しい、何かをしなければという感情が背景にあると思う。
僕の場合、「人付き合いを増やさなければ」という焦りがあったけど、背景には「ボケそうだな」というもう一つ余計な感情があった。
そのさきにはおそらく「他人に迷惑をかけるのではないか」「自分を失うのが怖い」という感情があると思う。
表面の問題より、深いところにあるものを知らなければ、根本的な解決はできない
解決しない
そもそも解決する必要がないという考え方もある。
これも認知行動療法だけど、第三世代の認知行動療法では受容に焦点を当てているものが多い。
仏教的ではあるけど、あるがままというか、感情をそのままにしておいて、眼の前のやりたいことを、やれば良い。
現実の問題は解決せずとも、感情の問題は解決できる。
しかし、根本的には感情に問題がなければ現実の物理的な問題はどうでもいい。
物理的な問題より感情が大事であるということについて
感情は解決すべきだけど、物理的な問題はどうでもいいというのはどういうことか。
たとえば、未開の地の部族に「1000万円上げるからその食べ物をくれ」と頼んでも、そもそも日本円の意味がないので断られるだろう。(人がいいなら別だが)
物理的な問題というのは、その文化の尺度で決まる。
実は一発当てた等の条件を除けば、鉱山労働者に金持ちが多いという話をとなりの億万長者の続編だったかで読んだ。
住んでいる地域が郊外の村なので、生活水準が高くなく見栄を張る相手もおらず、比較のための浪費が不要であるからではないか、といった内容だったはず。
物理的な問題に関しての焦りの多くは
命にかかわるものや実際の生活を脅かすようなものでないかぎり、ほとんど意味がない。
極端な話をすれば、本人が気にせず生活できるのならば、家すら不要だと思う。
自分の中の感情、及び他人からの視線を妄想した結果の感情によって、現実の問題が制限されているだけで
多くの現実的な問題は、解決することすら不要なのではないかという話。
だから、まずは感情。
感情が許すなら、物理的な問題はどうでもいい。
築50年の家賃1.5万のアパートに住もうが、服がボロボロだろうが、友達が少なかろうが、
自分が気にしなければ関係がない。
おわり。
- 焦りが認知の歪みから来ていないか探る
- 焦りを深掘りして本当の問題を探る
- 感情を放っておく事に慣れる。
こんな感じかなぁ。