うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

人生の課題は死とどう向き合うかだけや

英語学習の話ばっか書いてるくらいハマってるけど

これも一つの「無駄」だよなと思う。

教養は娯楽でしかない。

特に目的があるわけでも、できるからと言って何がどう変わるわけでもない。

キャリアアップとかあるならまだしも、そういうものが関係がない職種でやってるし、エンタメの幅が広がるくらい。

というかそれに関しても、速度があがるってだけで現状ちちま低速で読み聞きしながら楽しんでるし。

なんなら別に日本語翻訳でも問題があるわけではない。

教養ってのは娯楽だみたいな話があるけど、よくもわるくもそれでしか無い。

そんなことを考えてた。

死とどう向き合うかのために、生き方を選んでる。

結局「死」とどう向き合うかって事だけが人生なんじゃないかって。

その死との向き合い方は人それぞれで

子供や仕事を残す事が死を乗り越える一つの方法だって、なんかに書いてた。アドラーだったか。

でも、それですら、結局は残った所でそれを認知する意味がなく、「気休めとしての乗り越え方」に過ぎないと思う。

生きることは一切皆苦と釈迦は説いた。

そして、シオランペシミストも言ってる通り、その苦しさを乗り越えるには世俗的欲求を完全に捨てるしかない。つまりは解脱。

しかし、それもまた用意ではない。

だから中道なんて道が用意されてて、自分なりの何かしらの生きる理由や意味をに見つけて

ほどほどに楽しむための苦しさを味わい、ひどく苦しくないレベルをバランスしながら、

自分がなんとなく居心地がいい場所をフラフラとただ、死ぬまで歩く事しかできない。

つまりは、最後にどう思うかのためだけに生きるのだ。

死ぬ時後悔しない方法なんて無いだろうと思う。

死ぬ時に後悔することなんて話があるけど。

無理しすぎない事が一番だろうと僕は思う。

自分を無視して無理ばかりしていると後悔する。

後悔ってのは後でするから後悔なのであって、それは先人の話を聞こうがどうしようが起こる時は起こる。

だけど、それもまた人生だと飲み込めるだけの哲学を兼ね備える事以外に乗り越える方法なんてない

だから結局世俗を捨てよという話になるんだろう。

産まれてしまったからには仕方がないと、諦めて生きるしか、無いのだと。