【映画】護られなかった者たちへ・震災と生活保護
あらすじ
東北の震災の後の生活保護の話。
ストーリーは拘束されて「餓死」させられた、生活保護受給担当者の遺体が見つかる所から始まる。
ネタバレになってしまうので、これ以上語らず。
感想・ネタバレあるよ。
よかったんだけども。
阿部寛!何言うてるかちょっとわからんぞ!
まぁもう仕方ないわそれは。
わしがあんまり方が見ない理由の一つに「声聞き取りづらい問題」と「音量差すごい問題」があるんだけども
この映画は激しいアクションとかないからか音量差は大丈夫だった。
声は聞き取りづらいし、
主人公の人の名前が特殊故にずっとわからんから「阿部寛」で認識して見てたけど。
まぁそんな事はいいとして。
カナシイ話よ。
生活保護の問題は色々言われてるけど
そもそも生活保護は受給者が増えても国が破綻する制度じゃないと思うんすよね。
財源は国債でインフレ問題があるだけで、税金で賄ってるわけではないので。
ただコレに関しては異論もあるし、極端なMMT信者みたいな極論はどうなんやとも思うので、インフレとお金の回収のバランスが大事ってことは当然なんだけど。
そういう経済の仕組みみたいな話ではなく
人の感情で左右されて論理を形成してしまう「受給対象者」と「世間」とそれらを先導するプロパガンダが
人を殺しているかもしれないと思うと、カナシイ話だなと思った。
統計と死
これは、よく思う事なんだけど
統計って個人の問題に置き換えて語るには少々無理あるよなと。
例えば、外歩いてて突然隕石に当たる確率は極めて低いので、
と言われても
あたって死んだ人は、死んでしまったので統計的に低かろうがもう何も取り戻せない。
交通事故も、がん治療も、何もかも
その運の悪い、統計的に外れ値である「1人」になってしまったら
個人はそれで終わりなんだよなって。
だから統計的に、数字的にどうか
死んだのは1人でも、その1人に関わっていた人たちからすれば
知らない人が100人死ぬ事よりも
大事件なんだって事を、反論する世間というか、「外野になる人間達」は考える事がうまくできていないような気がすると常々思う。
だから可能な限り一辺倒な視野や視点で語るのではなく
バランスおじさんでいたい。
人は理解していてもバイアスにハマってしまう生き物だから。
ネタバレ
おばあさんが受給辞退で餓死をしてしまうんだけど。
理由が「未婚の時に産んで、里子に出した娘がおり、娘は自分の事を知らない。だから「お金がないという理由で」それを娘に知られるわけにはいかない。」
って理由だったのが
この制度、本当に困窮者を、そうなるような人たちを救える設計になっていないのかもしれないと思った瞬間だったよ。
犯行動機における犯人が知らなかった事実としての扱われ方をしてたけど、
それ以上に、こんな状況でも「親族」に確認しなきゃいけないんだと、ドラマだから事実はしらんけど。気になった。
仮にこれが事実なら、なかなかきっつい仕組みになってんなぁって。