諦めようかと思ったがもう少しやってみようと思う
漫画、諦めようかなと思ってたけども。
— うねお@趣味で英語学習中 (@uneo05) 2022年12月4日
もうちょっとだけ悪あがきしてみよう。
Twitterを7⇛10万
Pixivを5⇛10万
Fantiaを2000から1万~2万
目指して
ただ目標はアンコントローラブルなフォロワー数というより
「絵をアップし続ける事」として。#絵描き
漫画を描く事を諦めようかと思ってたけども、もう少しやってみようかなと思ったりしてる。
生きるってのは、なにかがあるから生きるわけではなく、生きてるから何かをするわけだという話は、何度か書いてる。先日も描いた。
だけど
その何かを見つけるってのはなかなか難しい。
海外がikigaiという言葉を取り入れて、それの定義として
「得意」「好き」「人の役に立つとか認められてるとか」「稼げるか」の4つが揃ってるものを「ikigai」とするらしい
日本のそのままの言葉とはニュアンスが違うような気がするけど、概ね方向性は合致してると思う。
僕には
そういうものがあまりなくて
多くの人は「人として」そのままで一定の自己重要感を満たせられてるものだと思う。
例えば、家族や友人との関わりであったり、仕事上の人間関係であったりで。
まぁ
僕は人間関係が希薄なので
そういうものが薄い。
唯一なにかあるとすれば、
それは漫画を描くという事で
これが10数年前は音楽だったりした。
自分というフィルタ
僕は僕というフィルタを通して何かを表現するのが下手くそで
何よりも
自己嫌悪に陥りがちだ。
だからなるべくなら個性を消して、生きていきたいと思ってる
絵をあっぷしたときは「まぁ自分が否定されたわけじゃないし」と立ち直る確率が高いと感じる。
音楽もそうだった。
失敗したら次があると。
恥をかきながらもなんとかやっていけると、そんな感覚。
もちろん全くないわけではないが
自分が直接誰かと対峙して、あれこれやった時よりも、その恥の感覚は小さい。
だから、これは僕にとって最後の拠り所なのかもしれないと思う。
もちろん、絵に限らず、音楽やゆっくり動画とか、策は色々あるから、「絵だけが」というわけではなく「自分を出さずに、物を作る事が」という意味だけど。
こういうものを大事にしたい。
これが最終安地ならば、そこにとどまろう。
アクティブに自分を変えようなんてそんな発想はできないから、できるだけ嫌な気分にならずに
穏便にゆったりと、死ぬまで続けられるように、ものを作る技術だけは磨き続けたい。
そのためにも映画なりのインプットは継続しないとなぁ。
ブログには記録してないけどTwitterに描きました。「ダークタワー」と「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」観ました。