うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

諦めようかと思ったがもう少しやってみようと思う

漫画を描く事を諦めようかと思ってたけども、もう少しやってみようかなと思ったりしてる。

生きるってのは、なにかがあるから生きるわけではなく、生きてるから何かをするわけだという話は、何度か書いてる。先日も描いた。

だけど

その何かを見つけるってのはなかなか難しい。

海外がikigaiという言葉を取り入れて、それの定義として

「得意」「好き」「人の役に立つとか認められてるとか」「稼げるか」の4つが揃ってるものを「ikigai」とするらしい

日本のそのままの言葉とはニュアンスが違うような気がするけど、概ね方向性は合致してると思う。

僕には

そういうものがあまりなくて

多くの人は「人として」そのままで一定の自己重要感を満たせられてるものだと思う。

例えば、家族や友人との関わりであったり、仕事上の人間関係であったりで。

まぁ

僕は人間関係が希薄なので

そういうものが薄い。

唯一なにかあるとすれば、

それは漫画を描くという事で

これが10数年前は音楽だったりした。

自分というフィルタ

僕は僕というフィルタを通して何かを表現するのが下手くそで

何よりも

自己嫌悪に陥りがちだ。

だからなるべくなら個性を消して、生きていきたいと思ってる

絵をあっぷしたときは「まぁ自分が否定されたわけじゃないし」と立ち直る確率が高いと感じる。

音楽もそうだった。

失敗したら次があると。

恥をかきながらもなんとかやっていけると、そんな感覚。

もちろん全くないわけではないが

自分が直接誰かと対峙して、あれこれやった時よりも、その恥の感覚は小さい。

だから、これは僕にとって最後の拠り所なのかもしれないと思う。

もちろん、絵に限らず、音楽やゆっくり動画とか、策は色々あるから、「絵だけが」というわけではなく「自分を出さずに、物を作る事が」という意味だけど。

こういうものを大事にしたい。

これが最終安地ならば、そこにとどまろう。

アクティブに自分を変えようなんてそんな発想はできないから、できるだけ嫌な気分にならずに

穏便にゆったりと、死ぬまで続けられるように、ものを作る技術だけは磨き続けたい。

そのためにも映画なりのインプットは継続しないとなぁ。

ブログには記録してないけどTwitterに描きました。「ダークタワー」と「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」観ました。