うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

人を狂わせる「欲」について

駄文連ねててもしかたねぇしって事でちょっとブログ離れてた。

人を狂わせる欲について考えた。

色・金・名誉

gendai.media

統合失調症は、最近減ってるって話を読んだってのを以前書いた気がする。

要点としては

  • 発達障害への理解が深まりサポートが増えた
  • 理解されない環境で発達障害の人が生きるのはストレスになる
  • 理解されることでストレスが減り、統合失調症への悪化という過程が減ってる

みたいな話。

色。金。名誉。は別に統合失調症にまで至らぬとも人を狂わせる欲だと思う。

しかし、色欲、金銭欲、名誉欲(承認欲求)をすべて捨てれば満足の行く人生を送れるのかと言えばそういう事ではない。

欲は無いと無いで困る。

ボクは哲学者として釈迦が結構好きだ。

だけど、彼がすべての欲を捨てて悟った、というのはそもそも釈迦の弟子が残した書物しか釈迦を知る術がない以上「誇張」だと思っている。

弟子というのは、師を神格化しがちだ。

釈迦が本当に悟っていたならば、各地を渡り歩いて教えを説いたりしなかっただろうと思う。

釈迦が各地を渡り歩いて教えを解いたというのがそもそも本当なのかもわからない話だけど

これを事実として考えるならある種それは「名誉欲、承認欲求」が原動力になってるのではないかと思う。

無欲では人は動けない。

釈迦はそもそも中道を説いてるので、欲を全部捨てる=悟りと考えてすらなかったのかもしれないし

現実的にもそれは行き過ぎというか、悟りというより無気力のようものにも思える。

欲は無いと無いで困る。

人は生きる上でほどほどの原動力は必要だ。

お金問題

前回のエントリで「何を原動力にお金を稼げば良いのか」という疑問があるという話を書いたわけだけど

そもそも

「お金を目的にお金を稼ぐ」というのが今までの自分であったため、それを捨てなければいけないと思っていたのだけど

別にお金を稼ぐ事を目的に稼いでも問題ないのではと思ったりした。

エリクサーはあると安心度が増す。みたいな論理でお金を稼いでも別に問題ないのでは。

とはいえ行き過ぎれば毒。

エリクサ10個あるけど、もっと溜め込みたいから死にかけてるけど我慢するみたいな話になると良くない。

つまりは使う分だけ稼げば良いし、使う以上に稼いでもいいが、使う必要が有るときに使わないのは違うし、使う以上を稼ぐために他のことをないがしろにするのも違う。

そのバランスを取っていればその先の目標や目的なんてあってもなくても、別に働いて構わない。

筋トレ糞ゲー

最近作って遊んでる筋トレクソゲーはまさにいい感じのバランスを保っている。

目的は体作りだから、数字には意味がない。

全くの関連性がないわけではないけど、直接的な関係もない。

ただ積み上げる事をだけを楽しんでる。リアルハクスラゲーム。

ただの酔狂というやつで意味があるわけではない。

ただやりたいからやっているだけ。

その先に他に得られるものもない。

漫画だろうがYoutubeだろうが、これと同じでいいんじゃないかと思う。

お金というフィルタが生活や贅沢、娯楽というところとあまりに結びついているという誤解があることが、行動の妨げになっているように思う。

描きたいから描けばいい、それがお金になるかならないかなんてどうでもいいし、お金になるからといってお金を余計に稼ぐ行為だから動機がわかないというロジックは少し考え過ぎだったのかもしれない。

死の間際まで漫画を描いた手塚治虫先生

手塚治虫先生が死の間際まで漫画を描かせてくれといってたという話は割りと有名で

ウィトゲンシュタインが癌に侵されながらも淡々と研究をすすめていたという話もある

ソレそのものが目的で生きても別に構わない

人はいつか死ぬから

お金というフィルタによって行動の選択を左右されるのはやはり問題だし

お金というフィルタを重く捉えすぎるのも問題だ

不要なら放棄しなければならないわけではない、もらえるならもらっておけばいいし

別にそれを使わなくなたって構わない。

高校の頃、バンドをやっていて「貧乏でも音楽やれるならそれでいいから」と思ってた。

漫画描いて、漫画読んで、アニメやドラマ見て、ゲームして、小説読んで、またそれを作品創りに活かして、また漫画描いて、そんで筋トレしたりして

それでよし。

だけど、一時の欲を強く満たす事に溺れそうになった時には釈迦の言葉を覚えておきたい。

欲はキリがないから、適度に捨てるのが丁度いい。

求めすぎず、捨てすぎず。自分がちょうどよいと思うバランスで付き合っていけば良い。

何してようがいつか死ぬからって、欲に溺れたところで別に満足できるわけではないんだから。

節約を楽しむように、自制を楽しむ

toyokeizai.net

節約が娯楽ならば、他の自制も娯楽になる。

律することに満足するのも一つの生き方だろうし、たまに自分のルールをやぶってやっちまったと後悔するのも人生だろうし。

そのくらいの感じでやってくか