FIRE卒業とセミリタイアブログの消失について
以前読んでたセミリタイアブログがなくなっている事に気づいた。
最近はセミリタイア系情報を積極的に追っていなかったので気づかなかったけど、
Wordpressまで準備してhatenaから以降してた人でアイコンキャラクターもデザインしていたのではっきり覚えてる。
コロナか、それとも物価高騰か、それとももっと別の事情があるのか、理由はわからないけど
やめてしまったのだろう。
セミリタイアをやめてしまったかどうかまではわからないけど、ブログはやめてしまったのだろう。
FIRE論
ボクは最近、FIREってのは所詮情報商材なんだなって事を改めて感じてる。
セミリタイアに否定的なわけではなく、巷にあふれるFIRE話は主に金を儲けるために使われているように思う。
支持者の熱を高めるために、4%ルールとか、自宅で出来る副業情報や投資手法を発信して、書籍やアフィリンクへ誘導するための商材。
でもセミリタイアできるかどうかにおいて「お金」は条件の一つに過ぎず、
本質的にはそれだけではどうにもならない。
ニートできるのも才能
ボクは、セミリタイアにはかなり先天的な才能、環境的な素質が必要になると考えている。
それはニートが出来る才能の有無だ。
言葉は悪いかもしれないが、一人で家に何年もずっといられるような、そんな素質。
ボクは割りとその素質はある。
ただ、不安症なのでお金と向き合いきれないから完全なリタイア的なところには踏み切れない。
だからこれもすべてを満たすための絶対的な条件ではない。
出来る出来ないという問題を一辺倒に語ってしまうのはインフルエンサーの罪のように思う。
ニートの才能があっても、お金の不安があったり
お金の不安がなくても、ニートの才能がなかったり
そもそも一人でいる事が不満だったり
刺激が無いと耐えられなかったり
人それぞれ、色々あると思うけど、
お金一つの条件だけで、ライフスタイルを決めるなんてちょっと横暴すぎないだろうか。
ライフスタイルをカテゴライズすな
FIRE生活、とかセミリタイアとか
言葉で自分を縛るのは柔軟性を失わせてしまうと思う。
自由に生きるって事において、もっとも重要なのは、おそらく柔軟性。
セミリタイアしてようがしてなかろうが、お金が4%ルールにのってようがのってなかろうが
なんでもいいんだけど
先を心配してばかりでは不安で押しつぶされてしまう。
その時その時にどう生きるかという柔軟性を磨くことで
お金があろうがなかろうがストレス少なく生きられるだろうし
仕事してようがしてなかろうが、ストレス少なく生きられるんじゃないだろうか。
エーリッヒ・フロムは自由からの逃走で、考えることを権威に託す事について書いている。
インフルエンサーや知識人気取りのアフィリエイターの作ったカテゴリに自分を当てはめるのではなく
自分のライフスタイルくらい、自分流だって決めて生きるくらいが、いいんじゃなかろうか。
これなら「お前それはFIREじゃなくね?」みたいなめんどくさい人の意見もスルーできる。
「わしは我流で生きてますんで」って言ってやればいい。