うねおろぐ

本業漫画描き。掃き溜めブログです。

自分がコントロールできることだけに意識を向ける

濃縮レモン水と醤油でポン酢的なものができる事を知りました。うねおです。

自分がコントロールできることだけに意識を向ける

これは、ストア哲学の中核となる思想です。

ニーバーの祈りとか、アドラー心理学とか、まぁ色々と同じような事を言ってる思想体系は沢山あります。

自己啓発の名著、7つの習慣にも「影響の輪」という考え方があるそうで。ボクはあんまビジネスライクな自己啓発書は得意ではないので、詳しく知りませんが。

自分がコントロールできる範囲の事だけに意識を向けるってのは、処世術として万能すぎるくらい万能なんですよね。

大きな事をしてはいけないのか?問題。

自分ができることだけ、というと大きな事をしてはいけないのかと反発をうけそうですが。

大きな事をなそうとする時も、仲間を集めるなり、力を得るなり、然るべき対策をとった上で行わなければ意味がありません。

政治にTwitterで文句いってても政治が変わらないのと同じで、結果を出すには、できることからコツコツやって大きくしていく必要があるわけで

決して、だいそれた事はしなさんな、という話ではないと思います。

人生に余計なことする時間はねぇ。

人間、いつ死んでもおかしくないので

自分がやりたいこと、できること、自分の結果が出せることに意識を向けておきましょうという話。 自戒を込めて。

情報過多社会はこわいで。

気づいたら、いらん情報おいかけたりしてますからね。

偏見だらけの差別論争とか、政治家のトンチンカン発言とかのニュースをだらだら読んだりね。

まじどうでもよい。どうでもよいのに、うっかりしてると読んでしまうので、自戒を込めて。

自分に価値のある行動を取るように。自分が楽しめる行動や情報を選択していきたいすな。

さっそくFeedlyを整理しなおしましたよ。アテクシは。

喪失感:失わないために最初から手に入れない処世術

メンタルは元気なのに、不眠症が未だになおらず困っている うねおです。

処世術。

喪失感:死について

死への恐怖とは、喪失感であるという説があるそうな。

その先あったはずの(妄想だけど)未来がなくなってしまう事への喪失感。

過去やってきたことや、手に入れたものを失う喪失感。

そういうものが「死」を怖くさせるんだろう的な。

同意する部分はありますな。

とはいえ、人間はいつか死ぬので、失う事を受け入れるしかないわけです。

先日エピクテトスの喪失への考え方を書きましたが、まさにそれ。

いつまでもあると思うな。親と金。

じゃなくて、家族もペットも自分の命も、有限で、それがいつ無くなるかなんて誰にもわからない。

喪失感:死別には耐えられそうもない

ボクは、自信の死を受け入れる事の方が、何かを失うより容易な気がしてるんですよね。

例えば、ボクはこの理由から未婚を貫いてる部分が大きいのですが…

奥さんとか子供が先に死んだら生きていける自信ねぇです。

あります?自信。

女の人は割と元気にやっていくが、男は奥さん死んだら早死するなんて話を聴きますな。

これは流言飛語的なやつなので、実際そういうデータがあるのかは知りませんけど。ボクもそうだろなぁと思うわけです。

大学の頃、遠距離恋愛してた彼女が家に帰ってしまうだけで泣きそうになりましたからね。

よえー

実家を出て一人暮らしを始めた直後も一人で泣きそうでしたからね

よええーーーー

最初から手に入れなければいいのでは?

これは臆病者の論理だけど、臆病者ゆえにその価値が最大化される処世術だとも言えるわけです。

最初から手に入れない。

  • 関係性を深く築かない
  • 依存しない

これも一つの生き方かなと。

心理学では、統計的に人間関係が幸福の度合いを決めるらしいので、あまりオススメはできませんが。

ボクはこれでいいのかなとも思っています。

孤独が悪いわけではなく、孤独感が問題らしいので、幸いあまり孤独感というものを感じない資質なものでなんとかなってますし。

幸い、長生きしたいという欲求もあまりない。

長生きについてはそのうち書きますが、相対的な数字をもって生きた量で幸せ度が測れるなんて 、結構イカれてると思ってるんですよね。

10代だろうが20代だろうが、90だろうが、その瞬間やりたい事をやりきっていられればいつ死のうが関係がないでしょうに。って。

話を戻しますけど。

何も手に入れなければ失う恐怖に怯えなくていい。

という処世術、賛同はされないけど、ボクのような引きこもりで一人遊びがうまい人間には合ってるんじゃないかなと思うわけです。

喪失感:失わないために最初から手に入れない処世術 まとめ

  • 死の恐怖は喪失にある
  • 最初から手に入れなければ失わなくて済むよね?

みたいな話。

ロボットペットとか増えてきてるし、命の責任背負わずにロボと暮らすのも悪くないかなー

なんて思ったりしてますよ。

書いてて改めて思うけど、万人向けではないですな。

頭の中を書き出す:ストア哲学

シールド乳酸菌の防御力を盲信している うねおです。

頭の中を書き出す事について。

心理療法認知行動療法あたりでも頭の中を書き出して客観的に観る事が推奨されています。

ビジネスや生産性関連、アイデア発想などでもアウトプット、メモ書きの重要性は度々指摘されていますね。

日々頭の中を書き出して、自分の生き方や考え方、アイデアや仕事の仕方を客観視するのは大事。

ストア哲学でも推奨されてる。

実は、頭の中を紙に書き出すってのは最近はやってるとかそういうレベルの話ではなく

2500年程前に実践していた人たちがいました。

ストア哲学者です。

ストア哲学者の代表人物の一人、マルクス・アウレリウスの著書「自省録」は、英語版では「Meditation(瞑想)」という題目がついてるそう。

この書籍は、マルクス・アウレリウス自信が日々の生き方を自省した記録であって、本として残される予定のものではなかったのだとか。

つまり日記ですね。

日記を後世の人間に読まれてるってヤバみがあるが

まぁとりあえず…。考えを書き出し反省し、修正する作業はまさに瞑想的です。

認知行動療法の世界でメンタルヘルス改善手法として「筆記開示」「ブレインダンプ」「ジャーナリング」などの名前で知れ渡っている手法ですが、

独自ルールでやっても結構な効果があるので是非おすすめ。

筆記開示のデフォルトのやり方

一応筆記開示のデフォルトなやり方を記録しておきます。

  • 20分間 頭の中をひたすら書き出す

基本はこれだけ。

もっと短い時間でも効果がでたってデータもありますし、細かいテクニックがあったりもします。

認知行動療法の基本を学んでから行うと、書き出す過程で色々試行錯誤ができるでしょうから、学んでおいて損はないかと。

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

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頭の中を書き出す:まとめ

ストア哲学者のように日々を修正し自分が生きたい生き方を実現し、楽に生きるためにも

習慣化したい事の一つですねー。

ちなみにボクは以下のような事を日々振り返ってます

  • 今日行った事は自分の価値観に沿った行動だったか
  • もっと削れる選択肢はないか?

あたり。

余計な事してると余計な事にリソースを割かなきゃいけなくなるので、 楽に生きる がモットーのボクとしてはそれは避けたい所なんですよね。

頭の中も、持ち物も、行動も。「より少なく。シンプルに」 生きたいもんですわい。

「何も成し遂げない」という人生哲学も成立すると思うのよ

楽しみにしてたモツ鍋が、思っていたより美味しくなくてがっかりしている うねおです。

何かを成し遂げる事で残ると思っているのか?

人間誰しも何かを残せるわけではない。

マルクス・アウレリウスですら「死ねば忘れられる」と思っていた。

この謙虚さこそ素晴らしい。

自分は成し遂げた、語り継がれると思っている人間の浅はかさと薄さ。

多少金を稼いだ程度で、存在が歴史に記録されると思いこんでいる浅はかさ。

ゲロはいてまうわ!

げー!

死んだあとの事なんて気にしてどうする

それより何より。

自分が死んだあとの事なんてどうでもよくないですか?

「あえて何もしない。」

そのくらいの気概で、自分のために人生を生ききってこそなんぼじゃないかと。

そんな事を最近思うわけです。

めんどくさくて。何もしたくないだけだけどなー

必死に生きて、何になる。

どうせ死ぬんだから、自分のためにのんびり生きてる方がいいじゃないのよー

敬愛するとあるPodcastパーソナリティがこんな事をいっていた

人生ってのは自分が観客のエンターテイメントだろう。自分を楽しませてなんぼだ

と。

これには、同意せざるを得ない うねおでした。

残るとかどうとかじゃない、利他的であっても、利己的であるがゆえの利他性を発揮して、人を喜ばせる事を自分のためとして行いたい。

人間の利他的行動は利己的な行動に起因する生き物なのだ。

楽に生きる:価値観に沿った行動を取るための方法

今日はすこぶる体調の悪い うねお です。

youtu.be

今日はこの動画を見て思ったこととか。

ちょっと自己啓発チックになると思いますけど

価値観をスリム化することは怠惰に生きるための知恵なので、お付き合いください。

選択肢が増える事は不幸だと思っている

選択肢が増える事を 自由だ と表現する方は多いと思いますが

選択肢が多いとそれだけ思考や行動リソースが奪われるので、不幸になるとボクは考えています。

エッセンシャル思考なんて本が流行ってた時期がありましたが、まさにアレに書かれてある通りで

自分の重要だと思う一つの方向性を定めないと、時間はなくなるわ、体力はなくなるわで大変疲れるんですよね。

自分の価値観を定める

でば、選択肢を限定するためにどうすればいいのかというと、自分の価値観を定めましょうって事。

これは書いてると長くなるのでまた今度描きますが。

  • 自分は何がしたいのか
  • 自分はどんな時に楽しいと感じるか
  • 自分が幸せだと思う条件は何か

など書き出してみて方向性を詰めていけばよいかと思います。

ちなみに、ボクは

  • 作品を積み上げる事 =楽しみ
  • 無理せずリラックスして生きる事 = 幸福

あたりが主軸になっています。マインドフルに生きるとかも大事かな。

このへんは、ストア哲学エピクロス派、仏教哲学あたりが指針になってます。

自分の価値観に沿った最も重要なタスク

価値観を定めたら、自分が重要だと思うタスクを定義すること。

ボクの場合だと…

  • 毎日90~180分の原稿
  • 30分くらいの自主制作
  • 瞑想10分
  • ごろごろするとか銭湯やマッサージに行く

そんな感じ。

コレ以外の事はなるべく減らして生きてます。

わりと孤独平気人間なので、家族とか友達が出てこないあたり、ほんと自分はちょっとずれてるよなと思うわけだけど。

世間的な、他人の思う幸福論を信じていきるより

自分が何をしたら幸福を感じるのかわかってると、そういう人と違う所も気にならなくなりますね。

価値観に沿った行動をとるためのセルフトークについて:メタ認知

メタ認知的思考をもつと、セルフコントロール力が高まったり、反芻思考から抜け出してメンタルが改善したりするんですけど

行動を定めるのに、セルフトークはめちゃくそ使えると思ってます。

例をあげるなら

  • この行動は自分の価値観に沿っているか?
  • これをやる意味なんだ?
  • 自分は何に執着/依存しているんだろう?

みたいな事を行動するときに考える。

SNS だらだらスクロールしてる時とかに、この質問を投げるのを習慣化すると、即時にやめられるようになっていいでっせ

自分がとっている行動は、なんのためにやっているのか。

それがゴロゴロすることであっても…「自分にとってゴロゴロは人生の価値観だからええんやで」って思えるならそれでいいわけです。

価値観が定まってないと、怠惰に生きる事は悪いことだと思ってしまいがち。

でも。人間休む時間も必要だし、リラックスはアイデアを創造する上でも大事な事なんで、ボクは気にせずゴロゴロします。

ゴロゴロにすら価値を見出してこそ、真のゴロゴリストよ

まとめ 価値観にそった行動を取るための方法

  • 価値観を定めて
  • 価値観に沿ったタスクを決めて
  • セルフトークで調整しよう

みたいな話し。

価値観からずれたことを試してみるのも必要だけど、そういう事は心の余裕がある時に任せて

普段はルーティン的に自分の価値観に沿って生きてる方が楽よねーと思うわけです。

怠惰に生きるために、余計な事はしない。

一般論に流されないためにも、日頃から価値観とタスクは整理しておきたい所ですわ。

▼新しいの出来たそうなので、見たってくださいませ🦌

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人間関係も物もペットもいつかは失うと知れ:エピクテトス

どうも、温泉が近くにあるのに入りに行った事がない うねおです。

今日はこの本から。

執着:失われるという事を忘れなきように

そのためにはどのような訓練をすればいいか。根本的で、もっとも重要で、いわば第一歩となるのは、何かに愛着を抱くとき、すなわち、決して奪われないものではなく、水差しやガラスのコップといったものに愛着を抱くときは、それがたとえ壊れても取り乱す必要はないと忘れないことである。人間に対しても同じだ。自分自身の子どもや兄弟や友人にキスをするときは……死すべき者を愛していること、愛しても自分自身のものではないことを失念してはならない。彼らへの愛は一時的に与えられただけであり、永遠に手に入れたわけでも、ずっと手元に置いておけるわけでもない。1年のうちの決まった時期だけに収穫できるイチジクやブドウを冬に求めるのが愚かなことであるように、自分に与えられていないときに息子や友人を慕うのは愚かなことであり、冬にイチジクを求めているのと同じだと知るべきだ。

これはエピクテトスの言葉。

エピクテトスってのは、ヘレニズム時代の哲学者でストア哲学の代表者の一人ですね。

ローマ五賢帝時代の最後を飾った、マルクス・アウレリウスが影響を受けたとされる人物です。

上の文章は、

何かしらに愛着を抱いた時、それが永遠に失われるものではないなどと誤認しないようにとの忠告ですな。

人生、生きていると、多くのものを手に入れます。

それは、「人との関係」であったり、「ずっと欲しかったもの」であったりするわけですが

これらを「手に入れたという状態」は永遠ではない事を忘れんじゃないわよ!というエピクテトス先生のお言葉ですわ。

人間「自分」以外は最後を伴にできるとは限らない

昨今孤独死やらの話題で、孤独死したくねーって話しを聞きますけど。

ボクは、人間、死ぬ時は一人。と割り切ってます。

むしろ静かに死にたいわけですが、それはおいておいて。

この多くのものや人間関係ってのは例えば

  • 友達や配偶者、子供も、先に死ぬかも知れない
  • 大切なものは壊れるかもしれない
  • ペットも逃げちゃうかもしれないし

みたいな話し。

言われれば当たり前だけど、所有している時はそれを忘れてしまうのが人間。

結婚すれば孤独死しなくて済むかも! なんて誤認をしてしまうのもコレに寄る所でしょうなぁと。思うわけです。

「自分」とは 体のことじゃないよ

とはいえ、「自分」は最後の最後まで人生を伴にできる存在といっても

体の事じゃないですよね。体だって失う事はあるわけですから。

この自分ってのはデカルトの言う「我」の事だと思います。

認知的な意味での自分ですな。

自分がその時発揮できる、知覚の最大限が「自分」。

認知能力だって衰えるわけなので、最後の最後までどこまで自分を維持できるのかもわからないわけですし。

究極的にはそれも含めて、失う事が死なわけですから。

言う慣れば

このエピクテトスの助言は、「どんなものにも永遠なんて無いよ」って話しだとも言い換えられるのかなと思うわけです。

まとめ

何が言いたかったのかってーと。

  • 人間関係も、物も、ペットも、地位も名誉も、自分自身でさえも、いつまで一緒にいられるかわからんよねー

みたいな話。

まぁ、こういうメンタリティはより、今の一瞬一瞬、目の前の事を大切に生きるためにも大事かなと思うわけです。

無理して、将来将来って生きるより、今大事にできるものをちゃんと大事にするやでー

いま食えるだけ食っとこうと食いすぎてしまうのは、別の話。

生きづらい原因:世間基準で生きるとしんどい

どうも、Apexへたくそおじさんの うねお です。

gattolibero.hatenablog.com

この記事を読んで思ったことを書きます。

記事の要約

まず記事の要約。詳しくは自分で読んでね。

  • 世間的な基準で生きるのをやめる覚悟をすると楽やで。覚悟すんのも大変だけどな。

みたいな話し。

世間的な基準で生きると 生きづらい。

まず、世間的な基準とは…という事について噛み砕きましょうか。

  • 人間的な成長
  • お金や出世などの報酬
  • 結婚してるとか、家柄の良し悪しとか
  • 他者からの評価
    • ブランド
    • 友達の数やらフォロワー/いいねの数

こんなところ。

いわば、これをやってるひとってすごいよね。これをできる自分って偉いよね。みたいな基準を世間的な基準による評価と定義して、そういったものさしで生きる感じですかね。

生きづらさの原因:世間のものさし

生きづらいってなんだろう、とボクもよく考えるわけですが

いわばこういった世間的な基準に沿って生きることができない事が、生きづらさを産むのではないかと考える事もあるわけです。

世間一般的な「普通」に沿って生きることができない人間は、その普通でない自分と世間の基準を照らし合わせて人間的に欠陥した人生を送っているのではないかと誤認し、苦しくなる。

しかし、文化や風習、国や人種、性指向などによって「基準」の考え方は違ってくる。

マジョリティが良しとする価値観が「普通」となるのが人間の社会性というやつで、

このズレを感じることができる根っこが真面目な人ほど、生きづらくなるんでしょうね。

どうすれば捨てられるのか

これは認知の歪みを正す事が手っ取り早いので、個人的には認知行動療法をおすすめしたいです。

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

いやな気分よ、さようなら コンパクト版

要は

  • マジョリティの思想に沿わない事= 自分がおかしいという認知を捨てましょう

という話し。

これは一朝一夕には行かないんだけど、よく言われてる

  • いい加減に生きても良い
  • 自分「が」好きなことをやろう。楽しめる事をやろう

みたいなものって、結局社会性を重んじる真面目な人ほど、難しくなるんですよね。

こういう人は恐らくですが、子供の頃に

  • 人に迷惑をかけないように
  • 周りの空気を読んで、空気を乱さないように

なんて教育をされてきた人たちなんじゃないかなと思うわけです。

かくいうボクもそうですが。

人に迷惑をかけずに生きるなんて無理。

ちょっと余談ですけど。他人に迷惑をかけないで生きるの話し。

これはボクがよく親に言われてた事なんですよね。

人に迷惑をかけてもいいとは言わないけど、それを絶対心情として生きようとすると、何も表現できなくなる。

少し前に「人を傷つけない笑い」なんてクソワードが流行ってましたが、表現ってのは受け手次第なので、どんな表現でも傷つく人は傷つくんですよね。

ボクは、今漫画描きをやってるんですが、描いたものを読んだ人が100人いたらきっと99人は何も感じないor嫌いだと思うだろうと思って描いています。

1人が好きになってくれれば十分だと。

表現も、迷惑も、自分という人間も、そのくらいに捉えてると割と楽かなと思うんですよね。

何かを発する事で迷惑をかけてしまうと恐れていては、何も発することができないし

そんな生き方は非常に生きづらい人生になってしまうわけです。

参照記事の中でも語られてますが、自分を大事にしないでなんとする なんですよね。

言いたいことも言えないなんとやらですわ。

Poison-Movie Mix-

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  • アーティスト:反町隆史
  • 発売日: 1999/12/18
  • メディア: CD

まとめ:世間基準で生きると生きづらいよ の話し

  • 他人や世間の基準と 自分を比較してると生きづらいよ
  • 大衆思想こそ善という認知の歪みを正そう
  • 表現は受けて次第。 100人いたら100人に好まれる表現なんて無い

みたいな話しでした。

まだこのブログでは自殺とか希死念慮、メンタル改善については描いてないんですけど、そのうち書きますねー。

明日見たいアニメを一つ用意しろ。
明日作りたいレシピを一つ用意しろ。
そしたら今日は生ききれる。

気楽になー。