フリーランスの年金はゲロ少ないよ
FIRE論:家賃だけは稼ごう
家賃だけは稼ごう。
最近は、仕事やめるマンになってるので、お金の問題で色々考える日々。
家賃だけは稼ごう
食費はどこに住んでてもさほど変わらない。
生活費全般で変える事ができる+影響力が大きいのはやはり家賃だろうと思う。
VOD全部やめるとかしたところでせいぜい1500~3000円の範囲だろうしね。
大きいっちゃ大きいが、言うほどじゃない。
やはり家賃は大きい。
リタイア後も「家賃だけは稼ぐか」と決めておけば、無理の無い範囲での仕事の意欲にもつながるだろう。
うちの家賃は正直、ちょい高い。
水道代共益費込みで、58000円くらいだ。高い。
リタイアマンならもうちょっと安い所に住めよという話なんだけど、ど田舎なので、立地がよくて虫嫌いなのでそこそこ高い階層となるとなかなか選択肢がなくて難しいんだす。
家賃だけ稼ぐ意識があるなら生き方が変わる気がする。
全部を資産収入で賄おうなんてしてると、やっぱいろいろ不安もでるだろうけど、家賃は稼ごうって意識だともう少し気楽になるんじゃないかと思う。
これが自分で稼げないなら、引っ越して安い所に行けばいい。稼げないなら仕方ない。
稼げる+広い部屋にすみたくなればそれはそれでいいだろう。
最悪まじで稼げないし働く気もないなら、ホームレスって手もある。
普通に飯が食えるホームレスなら悪くもなかろうし。しらんけど。
目標は大事だが高すぎると折れる
ショーペンハウアーらが言ってる通り、夢を持つと達成の過程という苦しさと戦わねばならない。
理想と現実の差ってやつ。
だからと言って何もないとそれはそれで苦しい。
ほどほどの何かを持つのがいい。
やっぱ、家賃くらい稼ぐか、がちょうどいいのではと思う。
社会保障費だけ稼ぐか、でもいいと思う。
食費だけパターンもよかろう、稼げたらうまいものを食べるって意識につながるのも働く意欲を作る上で悪くはないと思うし。
自分が合うものを選べばいい。
僕はひとまず、家賃だけを目標にしてみる。
まだ仕事してるうちは、印税やら今まで築いた資産はノーカンにしておいて、行動で稼ぐ。をルールとして。
月6万かー。まぁ普通に原稿描いてりゃ届くけど、原稿依頼がなくなった時のためにSkebやらなにやら、やっておきたいよなぁ。
さて、アイデア出しと時間作るためにせっせと本業終わらせますか。
お金も大事、だらけるのも大事、なんにせよ、自分がそこそこ楽しめるように生きねばねぇ。
執筆2022-08-25
逃げ切り計算機について
逃げ切り計算機について、そう考えるのか、となった。
90超えくらいでいいのか。
完璧主義的な性格が発揮されてて、軽く100歳オーバーしとかなきゃ駄目だろって思うんだけど、
お金と不確実な未来に大して、完璧なんて求めてたらキリないしなぁ。程々のラインを決めてもーいいや!って勢いで仕事整理しないとずっとダラダラになりそう。
とはいえ、やっぱそれで良しと言えるような精神力をモテるかどうかだよなぁ。
「5年くらい生きればよし」つって考えてみようとか、処世術としては色々考えたけど。
イマイチやはり、たまに先の事を考えて不安になってしまう。
特にいまは、仕事をやめるかどうするか、というかそもそも続けさせてもらえるのか。
仕事がなくなったら、同人ベースで食っていけるのか、とか色々考えてるので
資産収入でどのくらい生活を維持できるのかってのは気になるところ。
食費は削らない問題
以前食費は削らないって話を書いた。
ただ、それはタンパク源と野菜を確保できないからという理由だったんだけど。
これ以外と、タンパク源と野菜食っても結構節約できる事が最近わかってきた。
僕の食費問題は、タンパク源と野菜というより、自分で食ってる食事の栄養バランスが不安だから、時短にもなるし弁当等も適度に混ぜて…みたいな
本来の思考の逆パターン(本来なら栄養バランスのために自炊をとなる)だから
その弁当が結構高いという問題だった。
脱却方法として、米は自分で炊いて惣菜買うとか。
油足りねぇと思った時に油を使う料理をレパートリーに入れておくとか。
対策すれば、3万切る事も不可能ではなさそうだった。
あたりをメインリソースにして、なんや適当に調整してれば。後は調味料類くらいだし。
タンパク質は60-80gをタンパク源から取ってれば、後は別のあれこれにくっついてるタンパク源から十分量取れる。
今までは体重×1.6gをメインタンパク源からを意識してたけど、そもそも食が細いからそんなに食ってると胃腸への負担も大きい。
少食は健康にいいっていうし、実際自分が少食生活してる時の方が元気な実感あるから。
タンパク源と野菜だけは最低量取ってれば、食費はたぶんもう一回り減らせる。
追加収入
仕事やめても多少の同人活動や、今までの著作の印税もあるから
追加収入も少しはある。
ただ、これはどこまで維持できるのか不確定だから、計算に入れづらい。
そして、僕は稼ぎ続ける自信なんてない。
お金を稼ぐのは苦手だ。
VOD等のサブスク
Netflixは英語学習で使ってるから外せないけど、Dアニメは一旦外した。
作業中ローテ作品がなくなるのは悲しいけど、ラジオやPodcastがあるしなんとかなる。
AmazonPrimeも高くは無いからいいだろう的な感じ。
Audibleは最近使ってないし、解約でもいいかもしれない。
サブスクとの付き合い方は難しい。
そんなに高くはないけど、観たい作品がなかったりすると払い損だし。
Netflixみたいに、毎度退会設定したまま続けて、支払日超えて再加入できるシステムならいいんだけど。
Dアニメはドコモだからそんなことしてくれるわけもなく、というか日本のサブスクは全部退会設定した日に即退会、利用停止だから、糞だと思う。
月額料金払ってんのにね。なにそれってなるわ。
逃げ切り計算機の信頼性
逃げ切り計算機の信頼性についてはさすがに大雑把なアレなんでなんとも言えないけど
ざっと計算して、85~90を超える生活ができたらまぁ及第点だろうみたいな感じで捉えてればいいのかな。
わからんけど。
一番カンタンなのは、収入を上げるより、生活費を削る事だ。
やはり、家賃がまだ高いか、と思うものの。
虫が出る生活もいやなので、ぼちぼちの高さには住みたいから、難しい。
もう少し細かい設定できるから、こっちのがいいかもね。 engaging-data.com
執筆2022-08-25
安楽死が認められないから、生きることが苦痛になっている
生きることが権利であるならば
死ぬ権利も与えられるべきだと思う。
死ぬ権利が与えられないならば、
生きることは義務になる。
義務化されたものはつまらなくなる。
本来学習は楽しいものだが、子供は勉強が嫌いな子が多い。
その理由は義務化されているからだ。
「この時間にやりなさい」「ここまでやりなさい」「こうやりなさい」、と決められると辛くなる。
自己決定感は幸福度に影響していると言われている大事な感覚らしい。
以前、ゲームをやめさせるには…という話でやる時間や、目標を強制したら嫌いになるという話が出ていた。無論批判を浴びていたが、これは勉強がそうである事を皮肉っているようにも見える。
生きることも同じだろう。
死ぬ権利がないなら、生きることが義務化されている。
だから辛くなる。
死んでもいいと言われて、初めて自分で生きることが選択できる。
それが生きたいという実感を強める。
強制的に生かされている社会なら、ベネターの主張を正しいと言わざるをえない。
選択の自由は奪われ、ただ産まれたならばと強引に生かされるならば、それは苦痛でしかない。
生きたいと思う人間を増やすには、世の中を、自分で生きるという選択をできる設計にすべきだろう。
副業できるかどうかで本業を選ぶ
副業できるかどうかで本業を選ぶって割りと大事な視点かもしれないと、これを読んでて思った。
給料あがんないし
物価は上がってるし
正社員の主にが企業にとってでかすぎて、しかも時給じゃないから時間外にさえならなきゃ拘束してなんぼみたいな状態だから
ぶっちゃけ正社員制度廃止して
基本給少なめ+歩合+副業みたいな感じで回転させた方が、正社員制度で無駄にだぶついてる労働力をリサイクルできるんじゃないすかね。
しらんけど。
まぁ、僕はこのまま世界のためにならない絵を描いて生きていくので、働きませんけど。
生活苦になっても家賃を落とせばなんとかなるさー。
清貧思考なので、よい生活よりなるべく苦しくない生き方で行きたい。
すでに、頭がボケそうになってるから、長生きしたい人は頑張る人生を送ったほうがいい。たぶん。しらんけど。
「お金と幸福」を欲している人は詐欺に引っかかる。
釈迦やショーペンハウアーは、「求めるから苦しいんやで」という話を残している。
確か、エーリッヒ・フロムもそんな事言ってた。
苦しんでいる人は、騙されやすい。
お金と幸福はそういうツコ込み安い商材であることを覚えておいた方がいいかもしれない。
稼げます系情報は誰にも教えない。
稼げます系情報は誰にも教えない。
誰でも彼でもができたら稼げなくなるからだ。
こんな事は当たり前。
また某ブロガーがNFTの稼ぎ方みたいな本を出してるが
そんな方法が世に知れ渡った時点で、それは価値を持たなくなる。
稼げる情報は基本ゴミだから触ってはいけない。
少し前に一時期、大学生をビジネスサークルに勧誘してるうんたらのニュースが出てたけど
あれも同じ。
就活での将来への金銭的不安から、おかしなサークルに入ってしまう。
心が弱っていると正常な判断ができなくなる。
本当に稼げるなら誰にも教えない。 優しくないわけではなく単純にその情報が無価値になる。
友達ならまだしも、不特定多数がその情報を得た時点でおわる。
だから、お金稼げる情報ってのは基本的に抽象的なんだよ。
具体性を持たせる事は自分にしかできないから。
- 人の役に立つ
- 人を楽しませる(感動させる
稼ぐ方法は、悪いことを除けば、この2つだけだ。
幸福も同じ
幸福も同じ。
こうすれば幸福になれるというのは
「こうする」という行動にその発信者の利益を得るための手段が含まれている。
先日描いたけど
マイホームうんたら~、結婚うんたら~は、それが社会的な利益であったり、企業の利益に直結してるからだ。
個人の幸福とは関係がない。
結婚したい人はすればいい、マイホームがほしい人は買えばいい
しかし、これがなければ幸福ではないというわけではない。
自分で決めろ。それぐらい。
迷いながら決める。
だから、人生は苦痛なんだ。
誰かの基準に従うだけなら、それは奴隷だ。
幸福の定義を他人に教えられて、それのために人生を浪費するくらいなら
自分で決めて自由に苦しんでいる方がマシだろう。
ショーペンハウアーの言葉を借りるなら、
何かをしたり、何かを得たら幸福になるわけではない。
さほど不幸で無い事こそ幸福なんだ。
「衣食住と病気の備えがあればよし。」徒然草は僕の指針になっている。
幸福になるためにはどうすれば良いのか
幸福になるためにはどうすればよいのか
幸福になろうとしない
幸福になろうとしないことは大事。
幸福になろうとするという事は、つまりは今を「幸福ではない」としなければならない。
何かを追うという事は、今それを手に入れていないという事になるからだ。
幸福になるためには、まず幸福になろうとしないところから始めねばならないと思う
世の中の幸福法則を信じない
世の中の幸福法則は、他人が作った価値基準だ。
前時代的ではあるが、マイホーム、配偶者に一姫二太郎、マイカー一台に犬や猫もいる、みたいな家族像は広告塔でしかない。
こういったものはごく普通でもなんでもなく一定の恵まれている層のモデルケース、または、ローン組まされまくってる借金家庭か何かのどちらかだろう。
他人の作った幸福の定義ってのは
それを作った人たちが都合よく他人を操るために作ったものに過ぎず、たとえその幸福像と自分の状況が一致しているとしたとしても、個人の幸福とは無関係だ。
心の弱さに漬け込まれ安くなる
また、こういった他人が作った幸福像は高く設定されているため
心身を疲弊させる。
あらゆる統計データもそうだが、「自分は幸福ではないのだ」と思わせられるきっかけになる。
統計には外れ値が存在するように、蓋然性があるというだけであって必然性があるわけではない。
詐欺にひっかかりやすい人は、多くの場合心が弱っている。
世間の幸福像が高く設定されているのは、消費者の心を弱らせるためのなのかもしれない。
そうすれば、ものが売れる。
依存はストレスと関係があるらしいしね。そういう事だろうと思う。
不幸でもいいと思う
結局は、ぼちぼち程度の不幸ならまぁいいかと思えるかどうかが肝なんだろうと思う。
僕はよく吉田兼好の「衣食住と病気の備えがあれば良し」という言葉を指針にしている。
吉田兼好は
衣食住と病の時の備えを得られていないものを貧困、それを得ているものを金持ち、それ以上を望む事は奢りである。
と徒然草に残している。
清貧思考の話をすると、すぐにマクロ経済学とごっちゃにするマンがやってきて経済のためにならないとか言い始めるが、マクロとミクロは物理学ですら繋がりがうまくいっていないで
集団の経済と個人経済もそうなのだろうと思う。不思議だけど世の中は割りと同じような構造でできていると思う。
個人は個人、ミクロはミクロ、集団は集団で考えなければならないのだと思う。
まぁそれはおいておいて。
つまりは、個人レベルでの幸福は、日本国民なら大方手に入れられている。
病気の備えに格差はあれど、国民健康保険と高額療養費制度があるので、日本国民はこれを用意する必要がない。
つまりは。衣食住が整っていれば、それで問題がない。
十分幸福であると言う条件を満たしている。
あまり不幸ではなければそれでよい。とさほど幸福でなくてもそれでよいと、そう言える事こそ、幸福だと思う。
- 幸福は追うな
- 他人の幸福像に惑わされるな
- 不幸である事を許容できた時こそ、本当に幸福になれる
そんな事を思った。