時間の欠乏感:ストレスでハゲそう。
英語はまってますって記事が予約投稿で半月後くらいに投稿されるから、時間が前後するんだけど。
英語にはまりすぎて、時間管理のバランス崩して、ハゲそうになってる事態について。
仕事
うまくいかず。というか何を描けばいいか、何が描きたいかわからなくなる。
筋トレ
肘を少し悪くして、治るまで思うようにトレーニングできない。
脚トレはできてるのがまだ救い。
でも今は上半身鍛えたいモードだったから、悲しい。
英語
没頭しすぎる。
Netflixが面白いせいで、英語に没頭してるというか英語口実にNetflixみてる感ある。
まぁまだ英語勉強してるだけましだと、学生ならば思えるのだろうけど。
フリーランスは勉強も自制して仕事しないとヤバいのです。
瞑想
英語に没頭しすぎて出来てない。気が散ってる。
英語に没頭しすぎて仕事できてないせいで、仕事の方もトンネリング効果働いて欠乏感と焦燥感が湧いてる。
英語ちょとt減らしてでも瞑想した方がよさそう。
孤独感
いや、なんか違う。疎外感?SkypeやDiscoもほとんどつけてない。エレひこ氏ともろくに会話をしてないし、日本語使わなさすぎて日本語がうまく出てこない。
英語に没頭しすぎてて、日本語を使う量がアホほど減ってるのはよくないのか?
Podcastもアニメも全部英語だから、おいていかれてる感がある。
英語の理解がスムーズになれば解決するんだろうか。
娯楽とストレス発散のバランスがうまくとれてないようなそんな感じ。
英語は面白いが、それとコミュニケーションやつながりの欠如の感覚はまた別の課題だ。
早く理解できるようになるか、日本語作品見たり、瞑想でもする時間を作った方が良さそう。
総括してハゲそう
総括して、ハゲそう。
ハゲそうならやめてバランス取り戻せばいいだけの話なんだえkど、ま、これも一つの暇つぶし。
ハゲそうになってたなぁって後で笑えればそれはそれで。いいかもしれない。
何をしてたって死ぬんだから
今はちょっと安息地から踏み出す時期なんだと思って、少しだけ無理をしてみよう。
執筆 2022-09-08
悩み:「他人を変えたい」をまずヤメロ
テレフォン人生相談とか聞いてると
他人をどうこうしたい、って手指の話が出てくるのに驚く。
それは無理やて。
まじでこれは、ちょろちょろ適当に本読んでたらぶち当たる。
十二国記にもこの話が出てくる。
ベストセラーになったアドラー心理学にも出てくる。(本家には「課題の分離」はないという話だが…)
ストア哲学や仏教、あらゆるものに他人をどうこうしようとすなという話は出てくる。
まずこれをやめろ。
これ辞めると余計な悩みが大きく減る。
他人に良い行動をしてもらいたいなら、自分がそれをやれ。
以前子供が勉強するには一緒に勉強するんがええでって話がバズってたけど、まさにこれ。
総じて、学習できない子の親は、子供が勉強する時間にテレビ見てるとかゲームしてるとか、自分たちは楽しんでるんよ。
働いてきてるんだから当たり前?子供も昼は学校だから、条件は同じだ。
他人にばかり要求して自分がやらないのはフェアじゃない。
話ずれたけど。
なんにせよ。まずこれをやめろ。
どうにもならない事をどうにかしようとすな。
他人はコントロールできない。
「焦り」の感情を解決したい
「焦り」という感情の解決について
認知行動療法
認知行動療法をやる。
まず思考が歪んでいないか調べる。
感情を深掘りする
焦りの感情があるとき、なにかが欲しい、何かをしなければという感情が背景にあると思う。
僕の場合、「人付き合いを増やさなければ」という焦りがあったけど、背景には「ボケそうだな」というもう一つ余計な感情があった。
そのさきにはおそらく「他人に迷惑をかけるのではないか」「自分を失うのが怖い」という感情があると思う。
表面の問題より、深いところにあるものを知らなければ、根本的な解決はできない
解決しない
そもそも解決する必要がないという考え方もある。
これも認知行動療法だけど、第三世代の認知行動療法では受容に焦点を当てているものが多い。
仏教的ではあるけど、あるがままというか、感情をそのままにしておいて、眼の前のやりたいことを、やれば良い。
現実の問題は解決せずとも、感情の問題は解決できる。
しかし、根本的には感情に問題がなければ現実の物理的な問題はどうでもいい。
物理的な問題より感情が大事であるということについて
感情は解決すべきだけど、物理的な問題はどうでもいいというのはどういうことか。
たとえば、未開の地の部族に「1000万円上げるからその食べ物をくれ」と頼んでも、そもそも日本円の意味がないので断られるだろう。(人がいいなら別だが)
物理的な問題というのは、その文化の尺度で決まる。
実は一発当てた等の条件を除けば、鉱山労働者に金持ちが多いという話をとなりの億万長者の続編だったかで読んだ。
住んでいる地域が郊外の村なので、生活水準が高くなく見栄を張る相手もおらず、比較のための浪費が不要であるからではないか、といった内容だったはず。
物理的な問題に関しての焦りの多くは
命にかかわるものや実際の生活を脅かすようなものでないかぎり、ほとんど意味がない。
極端な話をすれば、本人が気にせず生活できるのならば、家すら不要だと思う。
自分の中の感情、及び他人からの視線を妄想した結果の感情によって、現実の問題が制限されているだけで
多くの現実的な問題は、解決することすら不要なのではないかという話。
だから、まずは感情。
感情が許すなら、物理的な問題はどうでもいい。
築50年の家賃1.5万のアパートに住もうが、服がボロボロだろうが、友達が少なかろうが、
自分が気にしなければ関係がない。
おわり。
- 焦りが認知の歪みから来ていないか探る
- 焦りを深掘りして本当の問題を探る
- 感情を放っておく事に慣れる。
こんな感じかなぁ。
退屈感を拭い去りたいという欲について
最近、Youtube漬けになってる。
なるべく使わないようにしてるんだけど。
Youtube使わないとネットしてる。
それならまだYoutube見てる方が手を動かせるから仕事が進むし。
という感じ。
退屈感を拭い去りたいという欲望
これも欲望だと思った。
退屈を拭い去りたいから、なにかを求めてる。
退屈も結構な毒だが
退屈でいられる事を噛み締めてもいいような気がしてきた。
人はどんな状況にもなれる。
なれると退屈になるものだ。
だけど、退屈というのはさほど、大きな苦痛があるわけではない。
ただ、暇なだけだ。
さほど不幸ではないという事実を、もう少しありがたいと思った方が良いのだろうと思う。
昔、●●する時間がもっとあればなーと思う事は多々あったのに
いざ、退屈になると何もしない。
ただ、その状況から抜け出したいという欲だけが、自分の中にあって、それが不平不満を作り出しているだけのような気がする。
お金だけじゃない、多くを求めても思っている程幸福にはなれない。
退屈から逃げるためにネットをぽちぽちやってても結局は暇を感じてるんだから。
何もなくても別に構わないのに、さほど不幸ではないのだから。
指の爪の間に針が差し込まれてるわけでもなしに
退屈なんて、そんな焦って逃げ出すような事じゃない。
執筆日:2022-08-15
【映画】セミマゲドン
【映画】キャスト・アウェイ
ネタバレあるよ
Quoraで知った映画。
孤独と戦いすべてを失う
飛行機事故で孤島に流れ着き、数年を過ごす話。
帰ってきたが、結婚をするつもりだった恋人は「主人公は死んだ諦めろ」と周りに説得された結果、別の生活を手に入れていた。
気持ちはまだつながっていても、そうはいかない
結局、生きて帰ってきたのに何もかも失ってしまったという話。
それでも生きて、また手に入れよう。というアメリカ的な思想
孤島での自殺未遂を友人に話す主人公。
彼女と再会するために生きたのに、結局は失ってしまった。
それでも生きよう。明日は明日の風が吹くやで…的な事を言い出す。
そして、ラストではOPに登場した、美人さんが現れて主人公と接点を持つというとんでもご都合匂わせの展開で終わる。
その後どうなったかは描かれていないが
いわゆる 「主人公は新しい恋をして幸せになるんやで」という大衆向け糞映画ENDING感がすごかった。
まぁまぁまぁ、面白かったけどね。
問題解決型の思考
2000年の映画だし、昨今の認知行動療法界隈で言われてる
問題解決型の思考には限界があるという話に僕は共感しているし
東洋思想やストア派なんかはまさにこういう、なるようにしかならん、という考え方なので
苦しいから新しいものを得よう
みたいな考え方は、人の一生を断片的に切り取った享楽主義的だなと感じてしまう。
極端な話を言えば、
主人公は孤島で死んでも映画として成り立たせられたのではと思ってしまう。
戻ってこられてたのは死の間際に見た夢だったとしても、それはそれでいい映画だと思っただろうと。
誰も彼もが得たいものを得て、みなハッピーになるんやでというのはご都合主義にもほどがあると思ってしまう。
人間の営みなんてのは、マジョリティの気持ちのいい世界の中でマイノリティがほどほどに苦しい思いをして、イレギュラーが排除されて形ができているのに
きれいなものだけが、人生だと言わんばかりの大衆映画はやはり、納得しきれないと思ってしまう。
独り身に優しくないお国柄
インターステラーでも同じこと思ったな。
あのラストいるかね、と思ったんだよね。あの彼女じゃないけどともに旅をした女性を探しにいくラスト。
まぁ、あれは、恋人うんたらというより。一人別の惑星でプランBやってるかもしれないからって事なのかもしらんけど。
少し前の増田に「日本は一人にやさしい」って記事があったのを思い出した。
映画にもそういうところが反映されてるのかもしらんなぁと。
孤独であのまま、孤独で孤島で死ぬ事は、アメリカでは許されないのかもしれない。
僕は、それもまた人生だと思うけど。バレーボールのウィルソンとともに、救われず、生き抜いたが結局無駄になっていく事もまた人生だと。
所詮死ねば全部パーなんだから、人生ってそういうものだし。
映画は終わらず切り取られるから、続きがあるけど、何をしてようが終わるし、それは常に不条理なものだから。
そういう映画が見たいんだけど、お国柄なのか、そういう映画は受けないんだろうな。