「お金と幸福」を欲している人は詐欺に引っかかる。
釈迦やショーペンハウアーは、「求めるから苦しいんやで」という話を残している。
確か、エーリッヒ・フロムもそんな事言ってた。
苦しんでいる人は、騙されやすい。
お金と幸福はそういうツコ込み安い商材であることを覚えておいた方がいいかもしれない。
稼げます系情報は誰にも教えない。
稼げます系情報は誰にも教えない。
誰でも彼でもができたら稼げなくなるからだ。
こんな事は当たり前。
また某ブロガーがNFTの稼ぎ方みたいな本を出してるが
そんな方法が世に知れ渡った時点で、それは価値を持たなくなる。
稼げる情報は基本ゴミだから触ってはいけない。
少し前に一時期、大学生をビジネスサークルに勧誘してるうんたらのニュースが出てたけど
あれも同じ。
就活での将来への金銭的不安から、おかしなサークルに入ってしまう。
心が弱っていると正常な判断ができなくなる。
本当に稼げるなら誰にも教えない。 優しくないわけではなく単純にその情報が無価値になる。
友達ならまだしも、不特定多数がその情報を得た時点でおわる。
だから、お金稼げる情報ってのは基本的に抽象的なんだよ。
具体性を持たせる事は自分にしかできないから。
- 人の役に立つ
- 人を楽しませる(感動させる
稼ぐ方法は、悪いことを除けば、この2つだけだ。
幸福も同じ
幸福も同じ。
こうすれば幸福になれるというのは
「こうする」という行動にその発信者の利益を得るための手段が含まれている。
先日描いたけど
マイホームうんたら~、結婚うんたら~は、それが社会的な利益であったり、企業の利益に直結してるからだ。
個人の幸福とは関係がない。
結婚したい人はすればいい、マイホームがほしい人は買えばいい
しかし、これがなければ幸福ではないというわけではない。
自分で決めろ。それぐらい。
迷いながら決める。
だから、人生は苦痛なんだ。
誰かの基準に従うだけなら、それは奴隷だ。
幸福の定義を他人に教えられて、それのために人生を浪費するくらいなら
自分で決めて自由に苦しんでいる方がマシだろう。
ショーペンハウアーの言葉を借りるなら、
何かをしたり、何かを得たら幸福になるわけではない。
さほど不幸で無い事こそ幸福なんだ。
「衣食住と病気の備えがあればよし。」徒然草は僕の指針になっている。