うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

安楽死が認められないから、生きることが苦痛になっている

生きることが権利であるならば

死ぬ権利も与えられるべきだと思う。

死ぬ権利が与えられないならば、

生きることは義務になる。

義務化されたものはつまらなくなる。

本来学習は楽しいものだが、子供は勉強が嫌いな子が多い。

その理由は義務化されているからだ。

「この時間にやりなさい」「ここまでやりなさい」「こうやりなさい」、と決められると辛くなる。

自己決定感は幸福度に影響していると言われている大事な感覚らしい。

以前、ゲームをやめさせるには…という話でやる時間や、目標を強制したら嫌いになるという話が出ていた。無論批判を浴びていたが、これは勉強がそうである事を皮肉っているようにも見える。

生きることも同じだろう。

死ぬ権利がないなら、生きることが義務化されている。

だから辛くなる。

死んでもいいと言われて、初めて自分で生きることが選択できる。

それが生きたいという実感を強める。

強制的に生かされている社会なら、ベネターの主張を正しいと言わざるをえない。

選択の自由は奪われ、ただ産まれたならばと強引に生かされるならば、それは苦痛でしかない。

生きたいと思う人間を増やすには、世の中を、自分で生きるという選択をできる設計にすべきだろう。