「何もかも憂鬱な夜に」倫理や道徳から遠く離れれば、この世界は、まったく違ったものとして人間の前に現れるんです。
「何もかも憂鬱な夜に」著:中村文則のネタバレを含みます。
自分の理想像という社会的動物としての呪縛と共に生きる事
倫理や道徳から遠く離れれば、この世界は、まったく違ったものとして人間の前に現れるんです。まるで何かのサービスのように。ー「何もかも憂鬱な夜に」P138
作中で強姦を繰り返していた男の言葉。
これはおそらく狂気だが、しかし狂気であると言い切る自信がないのは、正常であるという自覚の狂気性を常日頃から僕自身が感じているからだろうと思う。
何か、立ち位置の曖昧な主人公がどちらかに振れるギリギリの様子を描写している作品で、読んでいると気が滅入ってくる作品だった。
僕らは、その「倫理や道徳」の枠組みの中で「こうあるべき」という自分を作ってそれに沿って生きようとしている。
それは社会的にはなんの問題もなく、むしろ喜ばしい事だ。
儒教が浸透している国あるあるとも言える。
道教や仏教は個人哲学ではあるが、倫理や道徳の重要性は説いている。
やはり、最後の一線を超えると、それこそ個人としての楽な暮らしもままならないからだろう。
釈迦は…
触れてもなんでもない毒の入った水に手を入れても問題はないが、手に傷があるとそれがみるみる体を侵食してしまう。悪行とはそういうものだ(意訳)
と説いている。
人間というのは本当の意味で自分勝手に生きることはできない。
しかし、それをどう受容するかは心の問題だ。
「こちら側」で居続けるか「あちら側」に行ってしまうか。
どちらを選ぶにせよ、後悔は先にできるものではない。
哲学や思想は大事だと思う
作中、多くの人間を殺し死刑になる男の様子が描写される。
死刑囚となったあと、宗教を学びクリスチャンになり、死刑執行日まで穏やかに過ごし
死ぬ直前「神様!神様!」と叫び暴れ、押さえつけられ死んでいく男の姿が。
仏教だろうが、哲学だろうが、なんでもいい。
学んでおいたほうがいいと思うのは、一線を越えないためであり、楽に生きるためで
それは、他人のためになるかどうか、そういった事ではない。
少なくとも、自分のためにはなる。
それでも越えてしまう人がいるのなら
それは仕方ない事なんだろうとも思う。
この世界はすべての人がそのままで生きていられる程器用にできてはいない。ハズレを引く人がいる事は、止む終えないのだから。
僕も思春期の頃は何が何やらだった
社会に出た後も何が何やらで、おぼつかないし、正直今もおぼつかない
ただ、生きてるだけだ
生まれてしまったのだから仕方がない。
仕方がないと割り切っているだけで
生まれてきてよかったと、胸を張って言えるものでもない。
【現世ここが恐ろしい!】
— キメねこ (@kime_neko) 2020年9月29日
・同意なく突然無から引きずり出される
・基本的に“渇いて”おり生涯に渡って、その渇きを満たす活動に終始しなくてはならない
・想像し得るあらゆる残虐行為は物理的に実行可能である
・人は死ぬ、絶対死ぬ、必ず死ぬ、死は避けられない
それは何かを得た所でどうせ何も変わらないのだ。
お金だろうが人望だろうが、外的なものは結局何も満たしてはくれない。
自分で自分を理解して、何もなくても良いと思えて、
はじめてなんとか死ぬまで立っていられる
そういうものなんじゃないのかと思う。
減量中だけど、コロッケとプリンを食べてやりましたよ!!(悪行)