緩やかな自殺について
この前食費は節約しません、できませんって話描いたけど
健康というより僕が許容できる生き方では、激安ジャンクフードとか年中モヤシ生活は無理よねって話だったわけです。
が。
なんかそういうのもあんま気にしなくていい気がしてきた。
そもそも長生きをしたくない。
親が死ぬまでは生きておきたいというだけで
其れ以上は生きたいとも思わない。
何のために生きてるのかよくわからないけど、所詮は親のためなのだろうと思うし
親が必要があって産んだのだから
そういうことだろうと思うのだ
僕は別に望んではない。
そこで好きに生きなさいと言われても、そもそも生きる事が嫌いなのだから生を強要されても困るのだ。
だから、無理やり、何かと理由をつけて生きている。
一つは「とりあえず自分から死なない」という事。
生きているのだから死ぬのも大変だ。だから死なないように生きるしかないのだけど
しかし、健康的な生活をしなければ、自分で死ななくても死ねる。
これは半ば自然に思える。
なぜなら、世の中不健康な生活の人は五万といて、
その人達は自殺志願者のような扱われ方をしていないからだ。
ただ、不摂生な人、気をつけなさいよという事であって
今すぐに首をつろうとしている人間のように、憐れまれたり、面倒くさがられたりはしない。
不摂生はゆるやかな自殺であり、他人に面倒くさがられもしない。万能な死に方、なのではないかと思えてきた。
多くの人が潜在的に生きたいと思っているにもかかわらず、多くの人が不摂生を当然のように受け入れて生きている。
妙な話だ。
病気の多くは運だ。だからそもそも不摂生がどの程度病気に影響するのかはよくわからないが、生活習慣病の関連は不摂生がほぼ100%だろう。文字通り生活習慣病なのだから。
しかし、生活習慣病者は世の中の定義では自殺志願者ではない。
緩やかに、バレずに死ねる。これは、いい方法なのかもしれない。
そして何より、食費を削れる。
生活習慣病になっても病院にいかなければ良い。
自殺はなにかと厄介だが、生活習慣病で死ねばその厄介事も減る。
何より家族の自責は少ないだろう。
緩やかに死ねる。十年二十年以上をかけた、ジャンクフード死。悪くないかもしれない。
とかここまで描いておいてなんだけど
万年腹を壊したような状態になったり、肥満になったりするのは大変そうなので、やっぱ自分には無理かもしれない。
が、週に何度かジャンクフードで食をアレするくらいなら、まぁ別にいいかと、そのくらいの所に落ち着きそうな発見だった。
そもそも自分、病気コワイ病やしなぁ。