うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

いくらあったら安心すんのや!→そもそも安心する必要あるのか

お金堂々巡り問題。

お金問題なくなりましたといえる金額について

よく出てくるのは「生活費の25倍」なんだけど

ぶっちゃけこれで安心は難しいよねって思う。

とくにFIREなんて、「無収入でもだいじょうぶです」なんて言い切るのはこの金額だと無理。

たぶん33倍でもきつい。

でじゃあ50倍くらいあればいいのかとか、そういう話になってくると

「凡人はいつまでたっても安心できませんやん。」ってことになってくる。

お金のために働く苦痛

FIRE論でよく思うことだけど

金額の有無ではなく、「仕事嫌じゃなく慣ればクリアなのでは?」ってこと。

仕事がいやな理由って主にアンダーマイニング効果だと思ってて

お金のためになにかをするってのが根本的に人間苦痛を感じるのではって、なんかそんな話あった気がするけど、覚えてない。

ロウソク問題って実験ではお金をちらつかせたら思考力が落ちたのか答えにたどり着かなくなったって結果が出てたと思う。

脳にきついのかもしれない。お金を考えるのって。

だから仕事が嫌になるのかも。

もちろんすべての仕事がお金のせいってわけではなく、人間関係とか決まった時間に働かないととか色々あると思うけどね。

主に、お金のせいで「やらねばならないこと」になってしまうことが苦痛のきっかけを作ってるんじゃないかと。

だって

お金関係なかったら、嫌な人がいたり、自分のペースでやれないなら「やめます」ってすぐ言えるわけだし。

働き続けるのは悪くない

だから思うに

フルタイムで働き続けるみたいなのを辞めるのがベストで

そのための計画を立てて実行する必要がある。

その一つにFIREみたいないわゆる、資産収入を得るって選択肢が一つあるってだけで

資産そのものが問題なのではなく、資産収入含め、生活費を「無理せず」得られる仕組みの有無が重要なんじゃないかって。

だから、仕事が嫌じゃないやつは別にFIREする必要がない。ってのは言わずもがな。

なぜ僕は苦しいのか

で、なんで自分はいつもしんどいんだろうなって思ったんだけど。

これは前回も書いたが、

金額の話でも、仕事の話でもなく

単純に「求めることをやめないから」なんじゃないかと。

仏教には求不得苦って言葉があって、求めるものを得られない苦しさのことなんだけど。

Youtubeに動画投稿してフォロワ増えるのおもしれー」ってぼんやりやってた段階が10日ほど前で、

現在は「なんとかもっと一気に増えんかなー」とか「動画もっと増やしたら増えるかなー」とか

これ自分の哲学に反する行動を2つ犯してて

なんすよ。

そら苦しいわ。

安心を求めることも執着心

で、Youtubeはとりあえずお金云々より、そういうところやぞって話なんだけど。

お金の話にしても、結局ぼんやりした「安心感」みたいなところを求め続けるわけなんだけど

そもそもFIREなりなんなり「安心したい」って人は「不安」を原動力に生きてるわけだから

安心したところで

すぐに次の「不安」を探し始めるんだろうなって。

もしくは「暇」に苦しむか。

たぶん前者になる。

  • 今これだけあって安心できるなら、もう一回りあれば…
  • お金の問題は解決したけど人間関係をもっとよくしたい…
  • 住んでる場所の立地がよくなれば
  • 日本は不安だから海外に

とかまぁなんか色々。

次の不安を探す。

大なり小なり、人間って行動してないとやっぱ落ち着かない生き物だから、多少の行動は必要で

今苦しんでることを解決しても、すぐに次を探し始めるんじゃないかと。

自ら作り出してしまうんじゃないかと。

僕はなんの意味もないし、金銭効率も悪いのにSkebではなくYoutubeで遊んでるように

謎の原動力をもって、自分から不安や不満の渦に自分を放り込んだりしてしまう。

よくわからないけど、

反省してやめるべきなのか、それともこれも生きることを楽しむエッセンスやと思うのか

どっちが正解なのか正直わからないし、正解なんて人それぞれなんだろうけど

人間ってやっぱり

死ぬまではそこそこ何かしらに苦しみ続けるんじゃないかって。

フォーカシングイリュージョン。

何かが解決すれば幸せになれる。なんてのは本当にただの幻想なんだって改めて思う。

不器用。

あまりにも

不器用。