弱音を吐いて慰めてもらえるという場所がないということ
弱音を吐く場所がないんじゃないだろうか。
とそう思った。
キリスト教圏では週一で集まったりして地元の信者と信仰を深め、牧師の話を聞き自分について置き換え考えたり、質問したり相談したりが日課になってたりするんだろうか。
日本も、坊主の話を聞いて…といういわゆる軽い集まりはあったようだけど、今それが一般的にあるようには思えない。
少なくとも突発イベント的にやってるだけで僕のうちの周りの寺でそれをやってるというのを聞いた事がない。
日本特有の閉鎖的な感じなんだろうか、檀家だけです。みたいな。
昨日も近所の曹洞宗の寺でなんかやってたが、何をやってるのかすら、わからなかった。
宗教嫌いが多い日本では、こういった
いわゆる「思想」や「考え方」についての指針となるものがバラバラでその研究者から話を聞いたり、質問したりする場所というのはない。
集団で思想を深める事について僕は懐疑的だけど
弱ってきた時、そういう場所が無い国であることが自分をただただ孤立させていくように感じる。
弱音を吐く場所がない。
例えば、自殺相談とか、孤立相談とか、メンタル系の相談やってる自治体やNPOのサービスを使っても
傾聴技術のオウム返しとともに、当たり障りのない質問の繰り返しになるだけだ。
もちろん、それを土台にして自分が立ち上がってくださいねという事だろうし、結局他人の問題には、その程度の事しかできないのだけど
これは、極端な話、AI出できてしまいかねないよな、と思った。
AIだとわかった上で、自分の悩みを打ち込み、考えるための質問を投げてもらうシステムがあったら、それで何ら問題はなくなってしまうのではないだろうか。
これを言い始めると、AIブッダとかAIキリストが出てきてもそれに生き方指南をしてもらえるよなとも思うわけで
結局そういう事ではないとわかる。
何が大事なのかって。
「この場所なら話を聞いてもらえる」「この場所には自分と同じように何か掴みどころの無い不安感や、もどかしさを抱えてる人がいる」という一種の孤独感の払拭なんじゃないだろうかと。
わからんけど。
僕は漫画をやめようと思ってる
今、僕は漫画をやめようかと思っているけど
これを相談できる人が、いない。
友達に相談しようという気にもなれない
親や親族にはそもそも漫画家である事を話していない
以前は話を聞いてくれる編集さんがいたが、今はその人は別の会社にいってしまった
作家仲間のような人はいなくはないけど、たまに通話する程度の中でヤメル話なんてできそうもない
相談できないという事は、そこそこだるい。
一人で紙に書いて、考えて、どうするか案をだしている。
体調も悪いのと相まって、しばらく、籠もる日が続きそうだ。
でも仕方ない。
うまく相談できる人なら、こんなふうに部屋に閉じこもって絵ばかり描いてる人生にはならないだろう。
この一人で解決するしか無いという状況が、僕にとっての普通なのかもしれない。
執筆:2022-08-25