「ネット」は「世間」ではない
さきほど、エレひこ氏と軽く雑談をしていた時に
「嫁の旦那怒りツイート」の話が出てきた。
彼は、SNSやらhatenaはらという頭のおかしいツールを使わずに生きてきた人なので
こういう話に敏感に反応してしまってるようだった。
ネットは世間ではない
ネットで話題はあてにならない。
ネットでバズった漫画やアニメやらが、いまいち売れないという話と相関性があると思うのだけど
ネットというのは世間を反映しきれていない。
所詮、一部の場所に籠もった気色の悪い集合体の発する情報であって
決して、これは世間ではない。
弱者男性の論理に偏っている場所があったり、ツイフェミの論理に偏ってる場所もある
マスコミは取りたいアンケート結果を予測して、アンケート結果を取る人を決めるだろうし
放置型のアンケート系は基本的にそれを触りに行く変態達の意見が反映される。
ランダム化されていない情報源では、偏りは避けられない。
ネットは良くも悪くも偏る。
ネットは世間ではない。
あくまでも、それを指示する人たちが押し上げることによって人目に触れるようになっただけの、一部の人達の意見であり、世間の相違ではない。
人間は外部情報に反応するだけの、機械
彼が結婚する前に、こういったネットを見る人でなかった事はよかったと思う。
結婚したくなくなっていたかもしれないから。
ネットとは、そういう場所だと僕は思う。
馬鹿とハサミは使いようとか言うが、ネットもそうだ。
だが、人の脳、無意識は、外部情報に反応する事しかできない。
反応の仕方を間違って、それが思考として定着してしまったら、人は容易にバグる。
反応の仕方は個人の気質によるものなので、これもコントロールは出来ないと、僕は考えている。
つまりは、過激フェミの意見に過剰に反応してしまうようならば、観ない方が女性関係は良好になるだろうし
弱者男性の意見に賛同しすぎるようなら、観ない方が生きやすくはなるだろう。
偏った意見への賛同も拒絶も、それが自分の無意識に少なからず影響を与えてしまうが、その影響に対して人間の脳は防衛力を持っていないとも言える。
反応してしまう事に関して、それを意識的に変えようとすることすらも、気質と過去の外部環境から収集したデータによる反応でしかないので
僕らはそれをコントロールできないのだけど。
つまり、自分の生活を脅かす情報源というのは「出会ってしまったが最後」なのだろう。
僕たちは生まれ持った気質×外部の環境から得た情報によって作られているが
それをコントロールできない時点で、僕たちはある種、マーク・トウェインが説いた通り、「機械である」とも言える。
だからこそ、先に知って置かなければいけない事がある。
それが、「ネットは世間ではない」という事だ。
人のバイアスというのは、認識する事で完全には防げずとも、多少は防衛策にはなるという話だから。
執筆日:2022-08-05