何事も焦らなくて良いんやで
イメージに近いのが出来た。
— うねお@趣味で英語学習中 (@uneo05) 2022年10月15日
最初のプラトーは「越えた感」も強いんだけど、それも徐々に「あー、なんか超えたかなぁ?前から出来たっけ」みたいになってくる感じが出てる pic.twitter.com/K9l3wDb81Q
スキルってたぶんこういうグラフだと思ってて。
僕の仕事させてもらってる業界であるエロ漫画業界にも40歳から描き始めてうまくやってる人ってのがいるんですよ。珍しい例だけど
てゆか厳密にはエロ漫画家じゃなくてエロ絵描きなんだけど、まぁそれはおいておいて。
あとから始めても追いつける
後から始めたら追いつけないって思うじゃないすか、でも割りと追いつけるんですよ。
ただ、その追いついたように見えるのは素人目であって当の本人からしたら埋まらない一歩がずっと残るんだけど
それはさておきとして、言わば素人目に追いついたというレベルにいければ、ほぼほぼ「身につけた」って領域に入れるんですよね。
芸術系の仕事だと本人が本人のスキルを認めないってのはよくあることで、僕もそういうタイプなのでわかるんだけど
客観的に「出来る」「出来ない」でわけるなら「出来る」に入れてるくらいの自覚はある。
「出来る」をもう少し細分化して「それで食える」も入れるなら、それも追いつける。
まぁ人気商売だと、技術と食えるかどうかはイコールではないのだけど。
筋トレ 毎日100回腕立て的なやつについて
100 PusuUps per day シリーズを結構見るんすわ。
で、多くの場合、フォームぐちゃぐちゃだったりする。
フォーム崩してやるくらいあんら、無理して100やらんでも別に50でええのに、と思うんですよ。
50続けてれば60が出来るようになって70が出来るようになってって勝手に100が近づいてくる。
で、100を110とか120とかにしていくとなるとどんどんきつくなっていく、同じ10回なのにって思うかもだけど人間の体力には限界があるので、上に行くほど辛くなってくるんですわな
だから50しかできない人が100行くのと、100出来る人が150出来るようになるのは同じ労力ではないんですわ。(おそらく
一番上のグラフはそういうことを表してるので、100やらんでも50から、50できんならまず30からでいい。
自分に合ってるかどうかが一番大事なんすよ。
特に筋トレは無理したら怪我しますんで。
いつから何やってもいいじゃない
昨日、ダンスやら空手の動画貼ったけど
このスキルの「最初めっちゃ伸びてどんどん鈍化する問題」は逆説的に言えば新しいこと覚え始めた時が一番楽しめるってことですよねー。
いつから何やってもいいんやなって思える。
よく絵描き界隈で
「あんなに上手く描けたら楽しいやろな」って話があるけど
たぶん逆でおもろいから上手くなってるんやでってことなんですよ。成長が楽しめたり、過程を楽しめるから上手くなれる。
結果求めてるとそれが得られないんですよね。
でも人間って結果求めちゃうじゃないすか。
だから玄人の領域に行くのって大変なんですよね。
マンネリをマンネリと思わない異常性が求められるので。
だからさ、一つのことを極めるより器用貧乏的に色々出来る人になるほうが気楽で楽しいって個人的には思うんですわ。
そんでおそらくそっちのが簡単だから。
その中で何か一個軸があればいいけど
昨今のお絵かきAIみたいなのが出てきて業界が萎むってこともあり得るんで、あんま過剰に固執しないことも大事だしね。
なにかあるから生きてるんじゃない。生きてるから何かをするんや
前も書いたけど
実存は本質に先立つってことで。
何かにすがってるとそれが生きてる理由そのもののように誤認してしまう
けど本当は、生きてるからしゃあなしで縋るものを探して、偶然見つけただけなんだってこと。
だからソレがなくなったら、別の縋るものを探せば良い。
そういう柔軟性は、大事にしたいよね。
FIREの4%ルールの時にも思ったことだけど、必要なのは確固たる保証じゃなくて、常に臨機応変に生きられるメンタリティやと思いますわ。