うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

シンプルに淡々とやる事

仕事である漫画執筆とお金を結び付けない方法を試行錯誤してる。

「何を記録するか」が結構重要らしい

yuchrszk.blogspot.com

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漫画は仕事であったため、娯楽費計算表みたいなものを作って、「お金」を記録する方向でやる気問題を打開しようとしたのは何度か書いたけど、これは二回失敗した。

そもそもお金と行動を結びつけてるから、アンダーマイニング現象が働いて、行動を低下させてたんじゃないかと。

他に漫画を描く上で何をモチベにできるかを考えたところ、

単純に「作品量」だと思った。

ボクは淡々と作品を作ってる多作作家をかっこいいと思ってる。

等々。

特にスティーブン・キングの淡々と執筆するスタイルはどこかで読んで憧れた。

本多静六氏や森先生も同様。

ピカソはあまり知られてないが結構な量の作品を残してる。

同世代の漫画描きだとU先生はTwitterでぼんやり「今年14冊単行本出した(うろ覚え)」というやべぇ発言をしていたのを見かけたけど

Tweetを探れなかったので伏せ字にしておくとして

ボクはエロ漫画描きなのでさすがにそこまでの爆速は出せないけど

過去10冊中盤以上(特定されてしまうので詳細な数字は伏せる)は出してる。わりとエロ作家の中ではたくさん描いた方だと思う

それでも一般にいった先生で30冊以上出してる人がいたりするのでまだまだだと思った。

話を戻す。

つまりは単行本の冊数は一つの記録する指数に使えそう。

しかし、これはさすがに180P前後描かねば記録しないのであれば、「記録の効果」は使えない。

なので単純に1P単位で記録をすることにしてみた。

面倒にならなければ、

自分は「多作である」という事を以て、自分で自分に自信を持つ事が出来るような気がする。

お金を除外したとすれば、圧倒的に無意味な数字だけど、

ボクは結局素直に作品を作りたい。

セミリタイアがどうとか、仕事なんて必死にやるもんじゃないとか、まぁそういう事も確かに思う。

だけど

実存主義的には世の中は無意味なもので、人間の生も同様、その中で自分が意味を感じるものに時間を使う事が生きるという事。

突き詰めれば生きるというのは無意味さをどう楽しむかという事に尽きるわけで

その無意味さの中でも、自分が信じられる無意味さは、「多作な作家」というよくわからないかっこよさなんだと思う。

とりあえず一旦これを信じる。

信じて、1ページ1ページ描き上げていこう。

描かせてもらえる間は

描かせてもらえなくなっても、今の時代なんとかなるだろう。そのための投資だったんだから先の事は気にせずに。淡々とやる。

人を狂わせる「欲」について

駄文連ねててもしかたねぇしって事でちょっとブログ離れてた。

人を狂わせる欲について考えた。

色・金・名誉

gendai.media

統合失調症は、最近減ってるって話を読んだってのを以前書いた気がする。

要点としては

  • 発達障害への理解が深まりサポートが増えた
  • 理解されない環境で発達障害の人が生きるのはストレスになる
  • 理解されることでストレスが減り、統合失調症への悪化という過程が減ってる

みたいな話。

色。金。名誉。は別に統合失調症にまで至らぬとも人を狂わせる欲だと思う。

しかし、色欲、金銭欲、名誉欲(承認欲求)をすべて捨てれば満足の行く人生を送れるのかと言えばそういう事ではない。

欲は無いと無いで困る。

ボクは哲学者として釈迦が結構好きだ。

だけど、彼がすべての欲を捨てて悟った、というのはそもそも釈迦の弟子が残した書物しか釈迦を知る術がない以上「誇張」だと思っている。

弟子というのは、師を神格化しがちだ。

釈迦が本当に悟っていたならば、各地を渡り歩いて教えを説いたりしなかっただろうと思う。

釈迦が各地を渡り歩いて教えを解いたというのがそもそも本当なのかもわからない話だけど

これを事実として考えるならある種それは「名誉欲、承認欲求」が原動力になってるのではないかと思う。

無欲では人は動けない。

釈迦はそもそも中道を説いてるので、欲を全部捨てる=悟りと考えてすらなかったのかもしれないし

現実的にもそれは行き過ぎというか、悟りというより無気力のようものにも思える。

欲は無いと無いで困る。

人は生きる上でほどほどの原動力は必要だ。

お金問題

前回のエントリで「何を原動力にお金を稼げば良いのか」という疑問があるという話を書いたわけだけど

そもそも

「お金を目的にお金を稼ぐ」というのが今までの自分であったため、それを捨てなければいけないと思っていたのだけど

別にお金を稼ぐ事を目的に稼いでも問題ないのではと思ったりした。

エリクサーはあると安心度が増す。みたいな論理でお金を稼いでも別に問題ないのでは。

とはいえ行き過ぎれば毒。

エリクサ10個あるけど、もっと溜め込みたいから死にかけてるけど我慢するみたいな話になると良くない。

つまりは使う分だけ稼げば良いし、使う以上に稼いでもいいが、使う必要が有るときに使わないのは違うし、使う以上を稼ぐために他のことをないがしろにするのも違う。

そのバランスを取っていればその先の目標や目的なんてあってもなくても、別に働いて構わない。

筋トレ糞ゲー

最近作って遊んでる筋トレクソゲーはまさにいい感じのバランスを保っている。

目的は体作りだから、数字には意味がない。

全くの関連性がないわけではないけど、直接的な関係もない。

ただ積み上げる事をだけを楽しんでる。リアルハクスラゲーム。

ただの酔狂というやつで意味があるわけではない。

ただやりたいからやっているだけ。

その先に他に得られるものもない。

漫画だろうがYoutubeだろうが、これと同じでいいんじゃないかと思う。

お金というフィルタが生活や贅沢、娯楽というところとあまりに結びついているという誤解があることが、行動の妨げになっているように思う。

描きたいから描けばいい、それがお金になるかならないかなんてどうでもいいし、お金になるからといってお金を余計に稼ぐ行為だから動機がわかないというロジックは少し考え過ぎだったのかもしれない。

死の間際まで漫画を描いた手塚治虫先生

手塚治虫先生が死の間際まで漫画を描かせてくれといってたという話は割りと有名で

ウィトゲンシュタインが癌に侵されながらも淡々と研究をすすめていたという話もある

ソレそのものが目的で生きても別に構わない

人はいつか死ぬから

お金というフィルタによって行動の選択を左右されるのはやはり問題だし

お金というフィルタを重く捉えすぎるのも問題だ

不要なら放棄しなければならないわけではない、もらえるならもらっておけばいいし

別にそれを使わなくなたって構わない。

高校の頃、バンドをやっていて「貧乏でも音楽やれるならそれでいいから」と思ってた。

漫画描いて、漫画読んで、アニメやドラマ見て、ゲームして、小説読んで、またそれを作品創りに活かして、また漫画描いて、そんで筋トレしたりして

それでよし。

だけど、一時の欲を強く満たす事に溺れそうになった時には釈迦の言葉を覚えておきたい。

欲はキリがないから、適度に捨てるのが丁度いい。

求めすぎず、捨てすぎず。自分がちょうどよいと思うバランスで付き合っていけば良い。

何してようがいつか死ぬからって、欲に溺れたところで別に満足できるわけではないんだから。

節約を楽しむように、自制を楽しむ

toyokeizai.net

節約が娯楽ならば、他の自制も娯楽になる。

律することに満足するのも一つの生き方だろうし、たまに自分のルールをやぶってやっちまったと後悔するのも人生だろうし。

そのくらいの感じでやってくか

お金を使うところがない問題

お金を使うところがない問題

Youtubeをやめて、アニメドラマ、ラジオPodcastあたりで過ごしてると

だんだんとまた、漫画を描くのたのしー になってきた。

ただ

そこで出てくるのが再びこの問題。

お金貯めても使うところがない問題。

これを漫画と切り離せないのは、漫画を仕事にしてしまったからなんだろうけど。

仕事をしてるって感覚を忘れて漫画を描く事を楽しむだけにしてれば気にしなくて良い。

金銭効率を考えて、同人がいいだのYoutubeを育てようだの、なんかそういう事も考えなくて済む。

ただ、どうしてもある程度は考えてしまうわけで。

難しい。

お金を使う場所を作るべきなのか

スプレッドシートで娯楽費貯めるゲームを作ったものの、結局どうでもよくなって触らなくなってしまった。

というか商業原稿やってると脱稿時にしか触らないので存在をすぐに忘れる。

uneo05.hatenablog.com

お金を使う場所があったら

お金を稼ぐ事を楽しめるかもしれないと思ったものの

そもそも

「お金を使う場所」ってのが往々にして一時の享楽、快楽を求めるようなくだらないものだったりする。

「衣食住と病気の備えがあればよし」の人生においては

稼いだお金を投資にバコバコ回してきた人間としては、VODやらたまに行くマッサージや整体くらいのお金、何やってても余る。

当たり前だ、月1-2万もあれば事足りるのだから。

それを改めてゲーム化したところでさほど効果がない。

この手段では、「より多く使う」以外には成功ルートがなく、

しかも「より多く使う」は哲学に反してるし、破滅するかやがては飽きるの二択でしかない。

というかすでに飽きている。

金を使って遊ぶなんてのはバカバカしい、一人で楽しめない暇人が喘いでたどり着く逃げ道でしかないように思う。

「使うこと」では僕の「稼ぐモチベ」は救えない。

ただ貯めるだけになってしまう。

お金をただ貯めるだけになってしまっても意味がわからない。

寄付

寄付をしまくろうってのもなんか違う気がする。もとより寄付は昔から少額を継続してるけど

メンタルのためだし

寄付ってのは本来政府がやるべく仕事を支えてる人たちを支える行為であって

なんで政治家の怠慢をそんな必死こいて国民が支えなならんのだとも思うし。

それのために無理をしようとか、頑張ろうってのもなんか何かが違う気がする。

一歩距離をおいておきたいのは、メサイアコンプレックスにドはまりするのもまた、精神に有害だと感じてるからであって

寄付を否定してるわけではないけど

収支バランスに寄付がドカっと入ってるのは気味が悪いだろう。さすがに。

貯めるしか無いのかなんなのか

だったらお金ってのはなんなんだろう

貯めるだけのものなんだろうか。

小説を買っても読みきれない

漫画を買っても読みきれない

そんな毎日整体やマッサージしてもらいたいとも思わないし

車やバイクも別にいらない

生活費以上のお金を稼ぐ時何を考えてそれを行えば良いのか

この謎が頭をもたげるので

お金を忘れて漫画を描く事だけを楽しめれば、どれだけいいか

なぜ考えてしまうのか

やはり、「稼ぐということと動機を結びつける」よりも「考えてしまう事をやめる」のが最善なんだろうか?

世の中のセミリタイア仙人達に聞いてみたい。

隠居:何もせずに満足できるかどうか

隠居生活って

低刺激な日常を許容できないと無理なので

セミリタイアってほとんどの人間の場合無理だと思ってるんすよねぇ。

僕も割りと怪しくて、結局漫画の仕事続けてるので。

何もしない事を許容できるって結構難しい。

とくに、現代人はスマホSNSドーパミンのセットポイント狂ってるので、忍耐力がない。

刺激を求めてしまう。

暇を埋めるために享楽に溺れる。

それこそYoutubeSNSを無限スクロールしてる俺みたいに。

でも、なんやかやで長尺コンテンツを楽しむとか、運動するとか、瞑想するとか、無音で絵を描くとか、そういう

「一つの事に集中する時間」の方が結果的に充実してるって最近は気づけてきたので

落ち着いてきた気がする。

知人の知人でセミリタイア状態みたいな人がいるらしいんだけど

「金残っててもしかたないから風俗いくわ」つって言ってたって。

まぁ言いたいことはわかる。

ただ、享楽におぼれても結局は満足しないと思ってるので僕はいかない。

というかちんちん痛くなったりしたら嫌だし。

痛いとか苦しいのはいやだから。

それに、やっぱ欲を満たし続ける事は難しい。

「一つの事に集中することが結局は至高の時間」ってことを改めて考え直して、

暇だなーって思った時にSNS開くんじゃなくて、読書とか瞑想とか、運動とか、ラジオも何もかも消して絵を描くとか。

他にも、パズルやるとか数学の問題とくとか、英語やるとかまぁなんでもいいんだけど

結局こういうのが楽しいし落ち着くし満足を得られるんじゃないかって。思う。

うまく言葉にできてないけど。

酒のんだりギャンブルしたり、風俗いったりってのは、なんかその瞬間一瞬楽しい気になれるけど、いずれ「足りない」って思い始めてしまうんじゃないかって。

お金や他者承認や生物的な欲求を満たすことは、確かに一時的には楽しいのだろうけど

精神的な満足ってのは、もっと落ち着いてるものなんじゃないかって、思ったりした。

わからないけど。

哲学者や心理療法の結論通りに生きるなら、そういう事なんだろうと思う。

どうなんだろう。

没頭できる事と、ネット依存

ペシミズム的な、というかぼっち体質、回避性の性格の人間の幸福論において

「没頭できる事がある」ってのはかなり大きいように思えてきた。

ネット依存はこれに当たらない。

特に、短時間で消費できるコンテンツはこれに当たらないと思う。

理由はドーパミンのバランスが崩れる事にある。

正確にはわからないけど、ネット依存やらせてもらってる人間から言わせてもらうと

ネット、というかSNS的なメディアは幸福感を感じづらい。

アニメの畏敬や畏怖の感覚

フィクションは畏敬や畏怖の感覚を感じさせてくれると思ってる。

ぞわぞわするあの感じ。

昨日水星の魔女プロローグを見て、すごい背筋がぞわぞわしてた。

これは

多くの場合ネットコンテンツには無い。

感情が大きく動くってのは、幸福度に影響すると思ってて

感情の起伏がある作品は面白い。

コンテンツの話の上にコンテンツ作りの話を重ねてしまってややこしいんだけど

面白い作品ってのは落差が激しい作りになってる。

ハリウッド脚本術で書かれているネタではあるけど、平凡→得る→全部失う→成長して最初に。みたいな流れが割りと主流になってるらしく

感情の起伏が大きい作品ほど面白いと感じる傾向にあるという科学論文まであったりする。

釈迦の哲学には反する思考だけど、一定でいるというのは退屈になるため、メンタルを維持する上ではある程度の感情の起伏は大事だと思ってる。

ただ、これはあくまでも清涼剤みたいなもの。

没頭とは

そこで没頭が出てくる。

もちろん感情の起伏があるものに没頭するのも、一つだと思うしそれは否定しないんだけど。

没頭ってのはもっと深いそれこそ平坦だけど、なにかをしていたと思えるようなものなんじゃないかと思ってて。

フローのような感覚が得られる活動を指すんじゃないかと。

そこまで強くなくとも、まぁぼんやりラジオ聴きながら作業し続けましたみたいなのでもいいとは思うものの

本来的な没頭はそういったマルチタスク的な事ではないんだろうと。

僕自身、絵を描いてる時にそんな没頭したって感覚はあまり感じないし、それはだらだら音楽聞いたりラジオ聞いたりしながらぼけーっと作業してる事が多いからかもしれない。

「これやってると時間忘れるし、なんか楽しいんすよね」ってぼんやり言えるような事が一つあるなら

それは幸せな事なんだなと改めて思った。

ネット依存

しかし、そういったものを持っていても「依存」はそういうものへの欲求をぶち壊す。

酒もギャンブル、スマホ、風俗通いなんでも依存するものなら同じだけど

手軽にドーパミンドバドバな生活はやはり生活をぶち壊す。

金の有無も人間関係の有無も関係なく。ぶち壊してくる。

スマホは本当にあぶないと最近改めて思う。自分の場合PCだけど。

PCで意味もなく検索やSNSを見たりするくらいなら、ドラマなりアニメなり見て感動する方がまだ健全だろうと思うので

そういう事に時間をさきたい。

怖い話だけど。集中力のようなものが切れてきてるなぁと昨日アニメを見て思った

これは小説を読んだり、依存物質から離れる事でリカバリするしかない。

ちょっとまじで、SNS的なものに触れる時間が長すぎて忍耐力が削れてる節がある。

たぶん、じっくりやりこむゲームみたいなものもできなくなってると思う。

ほんと、冗談抜きでネットを離れないとなぁ。

ペシミズムの幸福論を再学習

Youtube界隈に長く関わりすぎたせいか、なんかセットポイント狂ってるなと思って。

あとは、昔ならアニメやドラマ、漫画読んでた時間がYoutubeに食われてて、なんか時間間隔みたいな、忍耐力みたいなのも死んでるなと思ってたり。まぁこれは今回の話とは関係ないけど、小説読むと良いらしいのでYoutube見るのやめてリカバリしてる。

ショーペンハウアーと釈迦を再学習してる。

要点を雑にまとめる

  • 孤独は自分を見つめ直す時間
  • 享楽は幸福とは関係なく、金と時間があまって暇に苦しむことを避けた結果みたいなもの
  • 幸福とは、「さほど不幸でないこと」
  • 幸福になりたいなら、没頭できるなにかを見つけろ
  • ショーペンハウアーいわく「もの作れ」
  • 金や他人からの承認を過剰に求めるな、キリがない。必要最低限あれば安寧は得られる。
  • モノ、地位、他人に依存するな、一人で居ても満足できる人間になれ。

孤独問題について、最近やたらと世間でも騒がれてるからか

孤独=悪って思いがちだけど

孤独は別に悪でもなんでもない。

なにかに没頭したり、自分について考え直すには一人の時間は必要。

誰ともつながってなくても 別に構わない。

どうせ100年後には大体のやつが死んでる。

覚えてもらわなくても関係ない。

どうせ100年後には大体のやつが死んでる。

仮に覚えられていたとしても、自分にはそれを知る術がない。

自分は幸福でないという自覚こそが不幸であるという

思うに

最近自分は「こうふくではない」と定義していた気がする。

別に不幸ではないけど

友達少ないし、基本一人だし、放っておくと一ヶ月、2ヶ月まともな会話なんてしない生活をしてる。

それがまずいのではないかという意識があった。

でも、僕は絵を描いたり、ラジオを聞いたり、映画やドラマを見たり、漫画や小説を読んだりしてると別に「暇に苦しむ」ってことは起こらない。

むしろ、その一日の終りに「何もしてなかった感」を感じさせるのは、一人でいる感覚を避けるためにYoutubeでLiveを見てたとか、そういうことだったりするので

むしろ、一人でなにかに没頭してる方が「なにかした感」を感じる気質なのかもしれない。

別に幸福ではないわけではない。

苦痛に悶てるわけでもないし。

好きなことはぼちぼちある。

絵をお金をあまり結び付けなければもっと楽になれる

というか「お金のことを考えることをやめる」ってのが最も充足感を得られる気がする。

豪遊するわけではなく、上にも描いたけど、豪遊は暇から逃れるための行動であって、そういうことでは根本的な解決にはならない。

お金を稼ぐとか、節約するとか、まぁ大事なんだけど、そればっかりじゃなくて「遊び」をもっと大事にするというか

当たり前な話なんだけど、夜は仕事せずに漫画読むとかドラマ見るとか

そういうなんかすげぇぼんやりした、「当たり前の社会人の帰宅後の生活」みたいなものをするだけで

十分なんじゃないかって。

自営業の悪いところよな。

ずーっと仕事してしまうの。

もっとアニメでもみよう。

外見を整える意識で肌ケアを始める

外見をぼちぼちちゃんとする意識を持とうと思った。

醜形恐怖症ってほどじゃないけど、人に会いたくない理由の一つに

あんま自分が普段ちゃんとしてないから、不快感を与えたらまずいなーって考えすぎてしまうことがある。

今年は、無理のない範囲で回避性パーソナリティの症状を緩和したいと思ってるので、外見をある程度清潔に保つ意識は必要かと思って。

手遅れな気がするけど、肌ケアをちゃんとすることにしたり。

保湿と日焼け止め

日焼け止めはビオレにした。

夏だけ使ってた海外製のベビー用のがあったんだけど、白くなるので塗る時に厄介。

こいつは白くならないから塗りすぎてしまう可能性もあるけど、白くなる処理の手間がないので楽かなと思って。

保湿はワセリン。上位でサンホワイト

乾燥肌とか気になる人はHPクリームもいいよねって話らしい。

春頃に乾燥して、顔じゃなくて脚がかゆくなることが多いからHPクリームも考えてみようと思ってるけど。

基本ワセリン使ってる。風呂にはサンホワイト置いた。

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あとレチノールとか、クレンザーの話はややこしいからおいておきますわ。

レチノールはよほど気になってる人は買えばいいって感じの商品だと思うし。おじさんが使うのはやり過ぎ感ある。

ボディシャンプーとかでいいと思うけど。

思ってたより安い

肌ケア用品て高いイメージだったけど、それは本当にただのイメージで

ぶっちゃけ安かった。

というかいらない商品が多いみたい。

基本は保湿と日焼け止め。でいいらしい。

安いから続けよう。

セルフネグレクト

セルフネグレクトってわけじゃないけど、世捨て人の引きこもり生活みたいなのしてると、色々雑になってくることが多い。

筋トレがそれを防いでくれてる部分はあるけど、

Youtube遊び始めてから英語もおろそかになってたり、amazonダンボールがそのままだったりと、ちょっと雑になってきてるなと感じた。

「ちゃんとする」って意識をもたないと、独身セミリタイアーはぐずぐずりやすいかもしれない。

気をつけるきっかけになるなら、なんでもいいやと。

まー、来月には「飽きた」とか言ってそうだけど。