死はメリットもあるという考え方で恐怖を克服出来るのか。
死を考えるモードになってしまったうねおです。
乳がんで20代で亡くなった方の動画。
動画内で死のメリットについてのボードが出てきます。
死のメリットは「将来の心配をしなくてよくなる」こと
そのボードの内容は概ね将来の心配をしなくてよくなるよーって内容
- 老後のお金や不安をしなくてよい
- 今遊んでいていいのか…みたいな不安を感じなくてよい
みたいなもの。
これは一理ある。
僕は死のメリットは「苦痛からの解放」だと思っています。
人間ってのは生きてるとどうしても、苦悩するものです。
釈迦やショーペンハウアーは「人生は苦である」と説いてます。
活力溢れて生きれば生きるほど、現在とのギャップや求めている心によってこの苦痛が作られるし、
活力なく生きていれば暇という苦痛が待っているので、どっちに転んでも苦痛。
何よりも、最高の快楽と最高の苦痛を比べた時、苦痛の方を避けるのが人間の性。
「好きなものいくらでも食わしてやるから、爪剥がしていい?」って言われても答えはNOですからな。
故に、この「苦痛から解放」ってのは死の大きなメリットだと思いますわ。
死に至る過程
とはいえ、動画のように病死の場合、死に至る過程そのものの苦悩が存在するわけでこれは苦痛の中でもかなりハードな分類の苦痛でしょう。
場合によれば物理的な苦しみも伴うでしょうし、精神的にも相当苦しいはず。
結局の所、死そのものが怖いのではなく、その過程こそが最大の恐怖なのではないかと思うわけです。
死に至る過程の恐怖は、心理療法に頼るしか無いのか。
これを脱却する方法は、心理療法思考の捉え方を変えるくらいしかないでしょうなぁ。
緩和ケアなどでも心理療法は使われているでしょうし、物理的に医療麻薬的な措置を施す事もその苦痛を和らげてくれるものとなるのでしょう。
近年医療用大麻の話題は結構やりづらいけど、僕は賛成派ですよ。安楽死も賛成派なので。
とはいえ、物理的措置を個人で行う環境は日本に無いので、医療機関で終末医療を施してもらうしかない。
となると、精神的な面でアプローチするしかない。
という事で、結論は瞑想しろって事になるわけですが。
要は第三世代の認知行動療法あたりを日常でしっかり行っておいて、いざって時に対応できるようにしておくくらいしか
この恐怖に対処する方法はないのかもしれませんなぁ。
もしくは没頭するものを見つけておくとか。しかし死の間際において、その行動が取れるとは思わないので、頭の中だけでできる瞑想ってのは相当万能だなと思うわけです。
まとめ
- 死のメリットは苦痛からの解放
- 死はメリットがあるが、それに至る過程は苦痛だろう
- 過程の恐怖は認知行動療法で対処する術を身に着けておくくらいしか無いんじゃないかなぁ
という話でした。
精神病んだ時だけ認知行動療法やるんじゃなくて、常日頃からどんな思考や感情にもメタ認知で対応できるようにしておきたいもんですな。
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