承認欲求ではなく他者貢献意識を持つ
嫌われる勇気のアドラー心理学では承認欲求のヤバさを説いている。
雑に概要をまとめるならアドラー心理学では
- 承認欲求や競争などの他者との比較優位性を求めるのをやめる
- 自分のコントロール外のものとそうでないものを見極める
- 他人や所属グループに貢献することで自己の存在価値を築く
みたいな感じの解決策が提示されている。
承認欲求を捨てる方法
ぶっちゃけこれがくっそ難しいと思う。
嫌われる勇気を読んでも変わらなかったよって人は多いと思う原因は
- 欲をコントロールすることは不可能だから
だ。
心理療法や仏教の勉強をしていると 欲を押さえつけても無駄ってキーワードはわんさかと出てくる。
対策のポイントとなるのは
- 認知の歪みを修正する事
- 受容
- 客観性(メタ認知)
この3つだと思っている。
この3つはそれぞれ独立しているわけではなく、例えば認知の歪みに気づきやすくなれば、受容性や客観性は強化されるし、客観性が強化されれば、認知の歪みに気づきやすくなる。
それぞれ関連しあっているように思う。
故にそれぞれのメンタルトレーニングもどれか一つを鍛えるというより、すべてに関係しているので一個ずつ取り組めば確実によくなると思う。
認知の歪みを修正する事
1つめは認知(行動)療法の実践で解決していくのが良いと思う。これができるだけでも承認欲求は消えるかもしれない。
もちろん「修正する」といっても、今が間違っているわけではない。
良いとか悪いとか、そういったものは主観的なものであって、個人個人で良し悪しが異なる。
このバランスは自分で取らなければいけない。
釈迦も「中道」を説いている通り、戒律というものを設けてはいたが、自分で考える事の重要性を重視していたのではないかと思う。
マザーテレサやガンジーのように生きる事も良しかもしれないけど、現代人らしくできる範囲で生きながら楽な道を模索することが一番大事。
受容と客観性
これもまた難しい概念だけど。
- 客観性とは文字通り客観的に思考を捉える力、思考に気づく力
- 受容とは、感情をそのままにできる力
みたいな感じ。
これらも主に、認知行動療法の流れで達成できる。
有名な手法の一つはマインドフルネスだろうけど、マインドフルネスは正直簡単ではない。
思考を止める練習から、観察する練習に至るまでコツを掴むのに時間がかかる。
書き出すタイプの(最近はアプリもあるので)認知行動療法のテクニックと向き合いながら、時間を見つけて5分10分から始めると良いと思う。
そして「受容の精神を学ぶ事」も大事。
下に上げる書籍はちょっと仏教語がすごくて慣れない人には慣れないと思うので、まぁぴったりくる本を見つける事が大事だと思うけど。
- 人の欲には際限がないため、何かを得ても次の欲を求めるだけで、一生幸福にはなれない。手放す事でしか人は満たされない
という理屈が理解できていれば、あらゆる情報の中にその片鱗を見つける事ができると思う。
ジャンプ作品みたいに、ハラタツやつ出てきたからボコー!みたいなのには無いけどね。獲得型の達成型のフィクションにはこの哲学は無い。だから作品を糧にしようとした時、どこかで「僕らは主人公ではない」という自己無能感に襲われる。
受容については、ACTなどのテクニックが使えると思う。
もちろん認知行動療法をベースにしている心理療法なので、認知行動療法をしっかりやってればそのうち身につくだろうけど。
なんにしても哲学が無いと自我の肥大化が発生しかねないため、学んでおいた方が吉。
おわり
今回は承認欲求の話だけだけど。
2つめはニーバーの祈りやストア派の根本思想と通じる。できることと出来ない事をしっかり分けようねという話。日本のアドラーでは(課題の分離)と言われているやつ。
3つめはは縁起の話。 釈迦の悟りは「縁起」と言われている。これはアドラーの共同体感覚をもっと物質レベルまで深めたものだが、言ってる事というかやれることはほぼ同じ。
所詮人は、何かとの関係性の中でしか生きられず、その関係性に対してどうアプローチするかが肝になる。
承認欲求を捨てるというのは、そういう事だ。
自分自分の人間はうまく回らないのは当然だ。
他者存在も存在してこそ自分があるのだから。
ということで。
- アドラー読んで、「承認欲求から開放されよう」とか言うけど、この本テクニックなんも載って無いし、感情や思考を変えるのは生半可な事ではないんやでー
- って事でおじさんが対策を多少提示するからやってみてやで
という話。
自己啓発本は所詮自己啓発本。 エッセンスを抜き出しても、その対策を提示してくれないどころか儒教に支配された国では「よしこれを使って人より抜きん出よう」といううんこ思考におぼれて逆に苦しくなる始末。
ショーペンハウアーが古典を読めと言った理由が本当によくわかってきた。
古い思想や哲学にはベースがある。
本当に変わりたいなら避けて通れない。と思うのでした。