死ぬ時に役に立たないものを集めるのをヤメる
お金も、仕事の成果も、モノも、死ぬ時にはなんの役にも立たない。
最近よく見てるヨガちゃんねるで話されてた事だけど
ヨガや、仏教などに源流としてながれてるインド哲学によくある「業や輪廻」の概念があるため
その問題と向き合う事が唯一価値のあるものとして定義しているらしい。
この辺は、ウィトゲンシュタインが言う語り得ないもの、つまり形而上学領域に入ると思うので
これに価値があるとは現代では言い難いのだけれど
ただ、死ぬ時に死そのものと向き合うためのスキルこそが、死ぬ時に役に立つ唯一のものだと考えるならば
瞑想はじめ、認知行動療法が、僕にとって最も取り組むべきものであって
他はそれを行うための土台でしかないのだと思う。
死ねば無意味になるものを必死に集めてもどうにもならない。
ニヒリズムに陥るのではなく、最後に役に立つものだけにすがって生きるのも楽観的ペシミズムとしてありかもしれないと思ったり思わなかったり。
一時の快楽に興じて生きるのも有りとは思うけどもねー。ペシミスト的にはふと我に返って虚しくなってくるんだなぁ。
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