うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

年間読書100冊とか300冊とか…一体何を学んでるんだ

年間100冊読みますとか、300冊読みますとか。

まぁいいよ。

目的があるならいい。

でも一個だけ聞きたい。

「お前…ショーペンハウアーは読んだんか?」

とか思ってしまう。

多読は毒

ショーペンハウアーは「多読は悪だ」とバッサリ切ってる。

新しすぎてその場しのぎの意味のわからん本が多いぞと説いている。現代もそうだろう。

彼の答えは「古典を読め」だ。

人間の問題なんて割と解決されていて特に心の問題は、仏教や老荘、ストアなど僕の好きな哲学で大方解決する。

それを避けて、謎の心理カウンセラーの本読んだり、謎のスピリチュアラーの本を読んだりする意味がよくわからない。

仕事もそうだ。

最新科学と銘打った書籍に書いてあることは立派かもしれない。

しかし「最新を知る必要なんて無い」という事に気づけ無いなら、多読生活は完全に失敗してる。

一時期、意志力は削れるから大事にしましょう的な話があったが、現在では怪しくなってるらしいし。

やり抜く力最強説も反論が出てきてたりする。

ぶっちゃけ、こういった最新なんてどうでもよくて

これも仏教とストア派から答えを貰える。

「自分の影響外のものをそのままにして、自分の影響が及ぶものに意識を向けて行動しろ」とか「執着を捨てて与えろ」で仕事の能率はあがる。

ビジネスの対価は他人の感謝がお金で代替されているに過ぎない。

与えられればうまくいく。単純にかけばそれだけの話し。

これを学ぶために、謎の最近の実業家が書いた書籍を読むのにどれだけの時間を使う気なんですか。

メモのとり方とか、学ぶ必要あるんですか?メモは大事だけど、独自のメモのとり方覚えて他人に何を与えてあげられるんですか?

その謎情報集める読書時間で働いたら仕事は順調に進むでしょうよ。

100冊も読んで成長できないのなら本読むのなんてヤメときなはれ

趣味としてならいいんだろうけど。それ、情報中毒、ネット中毒と変わらんのでは。

なーんてね★てへぺろ

最新が必要ではない理由

情報を有意義につかえているかというのは「情報を抽象化して解釈し、自分の問題に具体化して落とし込めるか」どうかだろう

僕が哲学、主に仏教やストア派老荘思想が好きなのは、そのエッセンスを転嫁すれば大体のものに応用できるから。

新しい本や最新の考え方がなくても、自分が何をすればいいのか、そこから考え直す事ができる。

「具体性」がないと答えが出せないのであれば

1を聞いて1しかできない人という事の証明だろう。

1を聞いて10を知るってのは、こういう事じゃないかと思うんだけど。

最新が必要な人たち

ただ、「最新」が仕事の材料になる人は意味があるんだろうなと思って。

まぁ、ようはインフルエンサーなんかはそのたぐいで、「俺100冊読んでます」がブランドになるし、後ろに本を並べてれば箔がつくという謎の世界なので。

でも、そういった人たちの魅力はなんだろう?

数字なの?

僕は情報量を自慢する人には、申し訳ないが憧れない。

むしろ、競争や貪欲に蝕まれて大変そうだと思ってしまう。

彼らが穏やかに静かに生きられる事のみを願う。

まとめ

  • 意味ないからやめとけ
  • 持ってるものを頭で考えて使う事の方が多読より大事
  • 多読アピールは「最新で飯食ってる人」「ブランドアピール」

読書家様におこられそーな事はいわんほうがいい。本で殴られるかもしれないぞ。本は人を殺せるくら硬い。