ヴィパッサナー瞑想は最強のソリューションなんじゃないか。
まとめ
というはなし。
思考を止める以外楽にはなれない
問題が発生したとき、頭でいつまでもぐずぐずと考えてしまうのが人間というもので
考えれば考える程、妄想が先走り悲惨な創造をしてしまうもの。
解決策は「考えることを止める」というのが最も手っ取り早いが
しろくまの事を考えるな
と言われると考えてしまうのと同じで、コツを掴まねば考えないようにしようとしたところで、簡単に考えずには済まないもの。
瞑想はそれを可能にする。
他の認知行動療法も役に立つ…が。
認知行動療法のテクニックもこの思考のループを止めたり、妄想を現実的なものに置き換えるのに役にたつ。
しかし、本元となる反芻思考を止めない限りなかなか精神的には辛い。
思考の本元を立つには、思考を止める練習をするか、観察する練習をするしかない。
ヴィパッサナー瞑想は観察の方で、難易度は高いと言われてる。
実況中継の弊害
昨今では、スマナサーラ氏の実況中継タイプのヴィパッサナー瞑想が広まっているため若干応用しづらい面倒くさい事になっている。
スマ氏はマハーシ式の派生らしい。
この辺の話はマニアックの仏教談話になるので省くが
実況中継は、たしかに思考を止める練習の初段階にはいいかもしれない。
しかし、人間の行動すべてを言語化することはできないし、そんなことをしていたら生活がままならない。
個人的には道元の「作務」をすすめる。
作務
作務とは、日常のあらゆる物事を行うとき、その行動に集中しましょうね。というだけの話。
- 手を洗うとき、手に触れる水の感覚に集中したり
- 皿を洗うとき、水の音に集中したり、手の感覚に集中したり
- 洗濯物を干すとき、湿った布の感触に意識を向けたり
- など。
思考がさまよい始めたら、これらのターゲットに意識を向け直すだけ。
簡単だし、日常生活を送りながらできるからおすすめ。
無我
思考というのは自分自身ではないというのは、仏教の無我の話で出てきていて
個人的にスピ感もあるし、一体どういう事かわからんと思ってたけど、それでもコレはたぶん真実なんだろうなという感覚だけはあった。
とはいえ、確信がないままでは宗教を信じるだけの盲信者になってしまう
これは釈迦(ブッダ)が良しとしなかった事。
実践を通じて理解するしかないのか…と思っていたけれど
スズキさんが書いた本は科学的な見地から無我が説かれていた。
もちろん、鈴木さんも補足してるが何分感覚的な話であるから、これがすべて正しいとはいい難い。
それでも、多少の安心感はある。
とりあえず脳内のおしゃべりを止める事は、精神的に楽な状態を作る、楽ではないが最良の方法といえる気がする。
怠惰を求めて勤勉に行き着く。か。
「無」には、CBTやACTのテクニックについても触れられてるのでメンタル読本のまとめ本といえるでしょうが、認知行動療法との類似性に気づけ無いと謎本に感じるかもしれない。事前知識ゼロで読まされると結界とか悪法とか何の話やって抵抗を感じそうな言葉がある。