うねおろぐ~生きる目的を失ったリタイア中年~

本業漫画描きの掃き溜めブログ。哲学/瞑想/メンタル/隠居/仕事の話など

芥川や太宰も死んでるから怖くない、って思えるかな

「天」のネタバレあるよ

天-天和通りの快男児 1

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若くしてなくなった人というのはたくさんいる。

太宰や芥川は日本でも有名な所。

あの世で会えるという宗教観を持たなくとも

死んだら会えるとか、そういう感覚や宗教観は僕にはない。

けど、「天」でアカギが死ぬのが怖いと嘆く銀次に言った。

俺が先に死んでやる、と。*1

そういう感じ。

誰かが先に死んでる。

無事に死ななかった人などいなくて、どんな形であれ、過去の人間は、みんな誰一人残らず、死にきっている。

早くに死んだ人も少なくはない。

自分が知っている人たちが先に死んでいるという事実は

多少、死の慰めにならないだろうか。

中学の友達が自殺している

僕は中学の友達が一人自殺している。

中学卒業後、中学連中でトラブルがあって、それ以来僕は距離をおいていたので詳しくはしらない。

自殺かどうかも定かではないが「そうだったらしい」と噂を聞いただけだ。

20そこそこだった。

高校の時、漫画家を目指しているというイケメンバレー部員のやつがいて、クラスも違っていて、2,3度言葉を交わした程度の仲だったが

彼は、心臓麻痺で亡くなっている。19の時だった。

知っている人でも、若くになくなっている人がいる。

亡くなった漫画家達

僕は、青山景先生の漫画が好きで読んでいたのだけど、読んでいた矢先に訃報が入った。

彼はたしか30代前半だったと思う。

同業のエロ漫画家さんの死は最近話題になったのはいーむす・アキ先生だろうか。

知らない作家さんではあったが、先日同い年の方が亡くなってニュースにもなっていた。

www.oricon.co.jp

ねこぢる先生や山田花子先生も若くに亡くなっている。

今読んでる小説家なら、カフカも40くらいで亡くなってる。

みんないつかは死んでしまう。

みんな死んでしまう。

いつかは必ず、死んでしまう。

この事実は暗いものなのだろうか。

遅かれ早かれ人はしぬ。

どんな人でも例外なく、だ。

死は忌むべきものなのか。

例外なく死んでしまうことが、悲しいもの、良くないものとするならば

人は最後はバッドエンドで締めくくることになるのか。

ならば、神なんてものを信じている人は頭がおかしいだろう。

そんな欠陥品を創造したのか。

僕は不可知論者なので、神についてはわからないけど、死がなれば種は存続できない。

死は忌むべきものであるという考え方が、そもそも間違っているんじゃないか。

だが、それを論理的に解釈して、死は当たり前ですとか、怖くないですと言われても

感情の問題は解決しないように思う。

みんな死んでるから怖くない

僕はその心情をうまくコントロールできていない。

ある時は死にたいとすら思うし、死は怖くないかも、と思う瞬間もある

でも死が怖いと思うこともある。

そもそも病気が怖くなくなったことは一度もない。心気症傾向は中学の頃からずっとある。

こればっかりは、認知行動療法をやってもいまいち修正しきれていない。

恐怖を克服するには、体験するしかない。*2

しかし、死や死に準ずるあれこれが怖い人は

それに慣れるまで体験をすることができない。

死恐怖症は、何か、人として大きな欠陥であるような気がする。

考え方をうまくシフトできればと、いつも思っているけど。

きっと、死後の世界を描いた宗教の一つの役割を、科学が奪ってしまったから、死を恐れる人が増えてしまったのだろう。

死ねば無

死ねば無になるというのは割りと科学者や無神論者、無宗教者に多い考えで

僕もこれは可能性が最も高いと思っている。

シミュレーション仮説を持ち出して、死んだら目が覚めるみたいな話をしている人がいるけど、シミュレーション仮説ってのはそういうマトリックスとイコールですよって話ではないと思うので、これも宛にはならない。

というか、こんな人が知り得ないものは論じるに値しない。*3

無というものの恐怖の誤りの一つは

無時間であることを無視していることだ。

永遠の無が続くという感覚はたしかに恐ろしいが

僕らは眠っていたり、全身麻酔をかけられたりすれば、突然時間は飛び、次の時間に移動する。

無とはそういうことであり、永遠を感じるわけではない。

時間は認識している主体性が無ければ、無いのと同じなので

無感覚、無思考である無になれば、時間も無い。

無というのはそういうことだ。

余計に怖いかもしれないが、死後は恐怖もない。

死そのものはやはり、わからないということを除いては怖くはないように思う。

生まれ変わるのが怖い

しかし、生まれ変わりなんてものが仮にあったとしたら

それはもう地獄の始まりだ。

もう一度死ぬまで生きねばならないのだから。

だから仏教はじめインド哲学では生まれ変わりを避けるために輪廻転生からの解脱を目指すわけだけど

「無」から突然、新しい人生が始まっても僕らは過去を知っているわけではないし

どういう人生が始まるのかもわからない。

生まれ変わりもなかなか怖い。

まぁ、生まれ変わりなんて、無いのだろうけど。

サイクリック宇宙論とかニーチェ永劫回帰のアレコレで、「もう一度やり直し」があった場合の方が圧倒的に怖いけど。

ブラックホールは情報を過去の排出していて、僕らはソレを読み取っているだけ、とかって説もあったが…。

信憑性の無い話や論を繰り返してても仕方ないのでこの辺で。

結論

  • 怖いものは怖い。
  • 先に死んでいる人がいるから、大丈夫という謎論法は使えるだろうか?
  • ちゃんと死にきれなかった人はいない

まぁそんなことを思った。

芥川や太宰のように、自殺した人たちってのは何を思ったのだろう。

青山先生は生前Twitterに「満足している」と書いていた。

僕は満足できていないから、まだ生に執着しているのだろうか。

結局、これも欲か。

釈迦が説いた通り、欲があるから苦しいのだろうな。

生きたいという欲を棄てるなんて、本当に出来るのだろうか。

逆に、死にたいという欲を棄てることは出来るのだろうか。

生命にかかわる欲は、お金や承認より、難しい。

執筆(2022-07-29) 三週間前に書いてる。乱文を全部吐き出しすぎだろう…。