老いて死ぬか病で死ぬか
僕は中学の頃から、心気症(病気を心配する病気)なんだけど
最近、病気になっても問題ないかもしれないと思う事が少しずつ増えてきた
とはいえ痛いのや苦しいのは怖いと思うけど
それと同じくらい
老いて、一人では何もできなくなっていく事の怖さがある
独り身ゆえなのか、それとも誰しも感じるのかはわからないけど
老いていく事も病気で動けなくなることも同じようなものならば
病気にならないというアドバンテージは薄れてしまう。
故に病気になってしまっても最悪どこかで死ぬのだから、と受け入れられてしまえないかとそんな事を考えるようになった。
きっかけはドキュメンタリー
YoutubeでTV局制作のドキュメンタリーを見ることがあるんだけど
老後系は結構観てて考えるものがある。
これまで観たものは色々だけど
最近Toxiv Diet Cultureの記事を読んで思ったことだけど
今の時代は「きれいなもの」がSNSで拡散されてて、それがまるで人生を豊かにしてくれるように思い込まされてしまうのだというのは
おそらくダイエット回りの問題だけではなく
例えば
幸福ビジネスあたりもそうだし
健康ビジネスもそうだろうと思う
何をした所で運がつきまとう世界では、残念ながら何が起こるかわからないし
何よりも、この世界の真理は無常。変わらないものなんて一つもない。
いつかは必ず、朽ちてしまう。
その事実を無視するかのようなメンタリティがSNSではびこっているので
僕らは結果的に、いつかその盲信を信じて生きるがゆえに、逆説的に不幸になってしまうのではないかと
そんなことを思った。
まとめ
つまりは
- いつか死ぬからいつ死んでも結局一緒
- 病気も老いももちろん個人差があるが同様に辛い。
- 病気は死をはやめるが、老いは必ずやってくる、結局しんどい思いをする
- 「永遠」みたいなものがSNSの情報の裏で踊っていて、それに惑わされているが、この世は無常。永遠など無い。
- 健康や美や幸福ビジネスを盲信すればするほど、不条理な現実にぶち当たった時に折れる
そんな事を考えたり。
一切皆苦とはよく言ったものだなぁと改めて思った。ほんと、この世は苦だ。
苦でしか無い。
その上でうまく適当に乗りこなすためには、イカれた盲信ビジネスに引っかからず、何事も受け入れる姿勢でいたいと思う。
難しいけどねぇ。