安心を得るという娯楽
安心を得るゲーム
究極的には、安心はメンタル的な問題だとは思うんだけど
物理的な問題の不安定さを排除していくための
問題解決ゲーム、つまり安心を手に入れるために頑張るってのは一種の娯楽だと思う。
お金のことばかり考えるのはつまらない
しかしお金のことばかりを考えるのはつまらない
が
お金を得る事をゲーミフィケーション出来るなら
それは面白くなる。
なぜゲームが面白いのか、という話は
- わかりやすく変化が数値化、見える化されている事
- 明確で、一歩先少し頑張れば手が届く目標
この2つが重要だと思ってる。
現代の仕事は、狩猟採集民のころとちがい
「何かをすれば何かが得られる」という事が不明確になりつつある。
動物を狩ったり野菜や果物を集めていれば生きられていた頃とは、明らかに複雑化された「生きるための行動」をモチベを保って続けるのは難しい。
そこでお金を指標にするという策が現れたが、
お金のイメージというものがゲーム感を邪魔する原因の一つになっているようにも思う。
別にお金儲けは悪い事じゃないが
僕自身、お金のことばっかり考えてるなと思うと、自分が一気に面白くなくなったように感じる事はある。
でも先日描いた通り
職業柄、遊ぶ事がお金儲けとつながっている事を自覚すると、その問題も消える。
職業柄、と描いたけど、実際エンターテイメントやフィクションにふれることは感情知能を深めてくれるので、別にエンタメ業界で生きてなくても役に立つだろう。
むしろ「10倍稼ぐ人になる」「仕事の生産性をあげる10の方法」みたいなクソ本を読んでる人間が、実際そうなれるとは思えないわけで。
実は小説や漫画読んでるやつの方が結局は稼げる人になるんじゃないか、この勉強の方向性は真逆なのではないだろうかと思ったりする。
まぁこの話はおいておいて。
お金に悩むくらいなら問題解決を楽しみたい
お金に悩むくらいなら
その問題をどうやって解決するかを考える方が楽しいのではないかと思う。
先日、ブレインダンプの話を描いたけど
問題(クエスト)を書き出して、ソレに対する思いつく限りの解決策を描き、解決策が思いつかないなら何を知れば解決策が見つかるかを書き出せば
サブクエストが生まれる。
現実はゲームだみたいな話はうさんくさいんだけど。言いたいことはこういう事だと自分は理解してる。
10分掃除する事が、自分にとって面白いクエストになったのは
そこに何か大きな意味があったわけでもなく
ただ「10分掃除をする」というクエストを「達成した」という事の喜びがあったというだけに過ぎないという事から
つまりは、そういう事なんだと気付かされた。
問題ってのは少しでも解消すれば面白いものなんだと。